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イングランド銀行

1694年に設立されたイギリスの銀行。中央銀行として財政・経済を支え、後に世界金融を支配する銀行となる。

 イギリス名誉革命で王位についたウィリアム3世は、1689年にルイ14世がファルツを侵略(ファルツ戦争)したことに対して自ら軍を率いて大陸に渡り、フランス軍との戦いを始めた。さらにアメリカ植民地ではウィリアム王戦争を開始した。これが英仏の植民地戦争(第2次百年戦争)の始まりである。また、翌1690年、ルイ14世に支援されてイギリス王位奪還を狙ってアイルランドに上陸した前国王ジェームズと戦ってそれを阻止した。

対仏戦争の戦費調達

 これらの対フランス戦争の巨額の戦費をまかなうため、ウィリアムを支持する議会のホイッグ党議員は、国債を募集することとし、また当時多数生まれてきた企業に対する資金を融資する金融機関の設立を議決し、民間から120万ポンドを公募して資本金として1694年7月27日にイングランド銀行を設立した。
 その設立にあたっては金融業の先進国であるウィリアムの母国オランダの資本の導入された。この銀行は、公募金を政府に貸し、それと同額の銀行券を発行する特権が与えられ、預金、貸し付け、商業手形割引、為替などの金融業務を開始した。この変革は「財政革命」とも言われ、このような近代的な国債制度・金融制度によってイギリス財政は安定し、さらに18世紀のイギリスの産業革命期の企業の融資によって経済発展の基盤となった。また、18世紀のフランスとの激しい植民地戦争をイギリスが勝つ抜くことが出来たのは、このような財政と経済の安定が寄与するところが大きかった。 → フランス銀行

国際金本位体制=ポンド体制の成立

 イングランド銀行はその後急成長を続け、1833年にはその銀行券が法定紙幣とされ、44年の銀行法で発券銀行としての独占権が与えられ、金本位を確立させた。19世紀後半、ロンドンのシティが世界金融の中心地になるとイングランド銀行は「世界の銀行」としての役割を担うこととなり、19世紀末には、国際金本位制=ポンド体制が世界経済のヘゲモニーを握った。

ドル時代への移行

 しかし、第一次世界大戦後はイギリス経済が世界をリードする時代は終わり、アメリカ経済が世界のヘゲモニーを握ることとなった。アメリカへの過度の資本の集中から、その反動がアメリカ発の世界恐慌となると、イギリスは1931年9月に金本位制の停止に踏み切り、国際金本位制=ポンド体制はここに終わりを告げた。
 第二次世界大戦後の1946年、労働党アトリー内閣の一連の重要産業国有化政策の一つとしてイングランド銀行も国有化された。現在もイギリス通貨のポンド(UKポンド)の発券銀行としてロンドンのシティに本拠を構えている。
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