ニューコメン
1708年、石炭採掘に必要な廃水のための大気圧蒸気機関を考案、1712年に排水機としてバーミンガムに設置し最初の実用化に成功した。60年代の産業革命の前提となった。
イギリスでは16世紀から家庭用暖房燃料として石炭の需要が急増していたが、炭坑での排水を行うポンプの改良が待たれていた。18世紀初めまでは、馬力による揚水機が使われていたが、それは坑内に発生する地下水をくみ上げるのに莫大な労力と費用がかかり、採算が合わなかったため、馬力に替わる新たな動力源の必要が望まれていた。
ニューコメンが蒸気機関の発明に取り組んだ理由は、技術的には炭鉱の採掘にともなう流出水の排水用ポンプを起動させることであり、もう一つの動機は、特許を獲得することで経済的利益を得るためであった。彼の発明には科学的な探究心や、それまでの科学研究の積み重ねがあったわけではなかった。事実、ニューコメンは17世紀の物理学の知識であった大気圧や上記の圧縮が真空状態を生み出すという事実を認識しないまま、エンジンを考案したのだった。<長谷川貴彦『産業革命』世界史リブレット116 2012 山川出版社 p.47>
ニューコメンと同時代のイギリスの科学者ニュートンもニューコメンには触れていない。
蒸気機関を最初に考案
トマス=ニューコメン Thomas Newcomen 1663-1729 は1708年、蒸気によって真空をつくりだし、大気圧でピストンを動かして地下水をくみ上げる揚水機を発明し、炭鉱での排水問題の解決にあたった。さらに改良を加え、1712年にバーミンガムの炭鉱に設置し、最初の実用的な蒸気管となった。ニューコメンが蒸気機関の発明に取り組んだ理由は、技術的には炭鉱の採掘にともなう流出水の排水用ポンプを起動させることであり、もう一つの動機は、特許を獲得することで経済的利益を得るためであった。彼の発明には科学的な探究心や、それまでの科学研究の積み重ねがあったわけではなかった。事実、ニューコメンは17世紀の物理学の知識であった大気圧や上記の圧縮が真空状態を生み出すという事実を認識しないまま、エンジンを考案したのだった。<長谷川貴彦『産業革命』世界史リブレット116 2012 山川出版社 p.47>
ニューコメンと同時代のイギリスの科学者ニュートンもニューコメンには触れていない。
(引用)ダートマスの鉄器商トマス・ニューコメン(1663~1729年)が、1708年、全く異った型の自動式気圧機関を発明したのは、まさにこの損失を避けるためであった。地上高くガッチリと建てられた石造りの柱の上にその枢軸をおいた大きな木製の横桿は、円弧を描いて上下に自由に振揺しうるようになっている。その横桿は一端においてピストンに連結しており、ピストンは、蒸気がまずシリンダーの中に注入され、ついで凝縮されるにともなって上下に運動する。この運動は横桿に、したがってまた横桿の他の端に結びつけられたポンプ桿に伝わり、そのポンプ桿の運動によって水は竪坑中のパイプを昇って汲み出される。<アシュトン/中川敬一郎訳『産業革命』 岩波文庫 p.48>
ワットの蒸気機関に駆逐される
しかしこの段階では、まだ熱量の損失が大きく、汎用的な蒸気機関としては実用にならなかった。蒸気機関の改良は1769年のワットを待たなければならなかった。ニューコメンの蒸気機関は徐々にワットの蒸気機関によってぃとぃされておった。ワットの改良した蒸気機関が、ようやく産業革命の動力源として利用されることとなる。最初の蒸気機関は、科学者に認知されることなく、ニューコメンは1729年に死んだ。ワッチが生まれたのはその7年後のことである。