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バーミンガム

産業革命期のイギリス中部で、金鉱に石炭、鉄鉱石が産し鉄工業などで急速に発展した工業都市。急激に人口が増えたことから腐敗選挙区の問題が起こり選挙法改正運動が起こり、労働運動も盛んになった。

バーミンガム GoogleMap

イギリス中部、ミッドランドにある工業都市で、周辺に豊富な鉄鉱石と石炭の産地があったことから、産業革命の時期に製鉄などの鉄工業、鉄を材料とした機械工業が発達した。すでに早く1793年にはロンドンと結ぶバーミンガム運河が建設されたが、鉄道時代になってからはロンドン・バーミンガム鉄道が敷設された。人口の都市集中も急激に起こり、1830年代には10万を数え、マンチェスター(17万)、リヴァプール(10万)と並ぶ新興都市となった。しかし、急増する人口に対する都市の整備は進まず、多くの貧しい労働者が煤煙の中でクラスという劣悪な環境が拡がり、「ブラック・カントリー」と言われた。20世紀から現在に至るまで、バーミンガムはイギリスの代表的工業都市として続いている。バーミンガム市長は、人口急増期の19世紀にはジョゼフ=チェンバレンが、20世紀の戦争の時代にはネヴィル=チェンバレンの親子が務めている。

産業革命

 18世紀のイギリスの産業革命の時代の中心都市の一つであり、ニューコメンワットとその協力者ボールトンなどが活躍した。バーミンガムから新しい技術が生まれた背景には、次のようなことが指摘されている。
(引用)さまざまな技術を実用化しいくにあたって、バーミンガムはワットに理想的な環境を提供してくれた。当時のイギリス社会において、イギリス国教会に所属しない非国教徒は、教会の聖職ばかりでなく、官庁や大学の職にも就けないことが法律で定められていた。そのため多くの非国教徒は産業界に進出し、産業革命を牽引する重要な役割を果たした。彼らは政治の中心地ロンドンから離れ、地方都市でさまざまな産業活動に従事した。その一大中心都市がバーミンガムだった。<橋本毅彦『近代発明家列伝』2013 岩波新書 p.34>
バーミンガムの月光協会 バーミンガムには科学者や産業家が情報や意見を交換し合う会が催された。その会は満月に近い月曜日の晩に開かれることから「月光協会」と呼ばれ、ワットの協力者であったボールトンはその創設者のひとりだった。会員には化学者ジョセフ=プルーストリー、生物学者エラスムス=ダーウィン(進化論の提唱者ダーウィンの祖父)、陶磁器製造者ジョサイア=ウェッジウッド、ガラスや石けんを製造する事業家ジェームス=キーア、機械技術者リチャード=エッジワースらがいた。ワットはこの会で多くの貴重な情報を入手し、会を通じてさまざまな人物を紹介してもらい、蒸気機関のシリンダーの精巧な加工に必要な工作機械を知ることができた。1774年、ワットはバーミンガムに移り住み、翌年に蒸気機関を製造するための会社をボールトンとともに立ち上げた。<橋本毅彦『上掲書』 p.35>

選挙法改正運動

 このように急速に発展した大都市バーミンガムであったが、19世紀初頭まで政治的には無権利の状態に置かれていた。イギリス議会の選挙区制度が産業革命前の人口分布で選挙区の区割りがなされていたため、人口が大減少したにもかかわらず議席の与えられるいわゆる腐敗選挙区が多く存在していた。そのため、マンチェスターやバーミンガムには議席が与えられていなかった。それに対してナポレオン戦争終結後の1815年ごろから、選挙法改正を要求する運動が起こり、1630年には銀行家のT.アトウッドらが指導するバーミンガム政治同盟が選挙権拡大を要求して幅広い運動を展開した。その結果、1832年にイギリスで最初の選挙法改正である第1回選挙法改正が実現した。
 その後も、バーミンガムでは労働者の無権利状態が続いたため、労働問題が深刻になっていったため、労働者による権利闘争であるチャーティスト運動も起こされる。