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ダービー父子

18世紀の初頭、イギリスで製鉄法を確立させ、産業革命の基盤を築いた父子。父の石炭製鉄法を子のダービーが改良を重ね、1735年にコークス製鉄法を発明した。

 イギリスの製鉄業者の父子。両者とも名前はエイブラハム。父のエイブラハムがシュロップシャーで製鉄業をはじめ、1709年にコークス製鉄法を開始、その子エイブラハムが1735年にその技法を完成させて事業を成功させ、現代の製鉄技術の基礎をつくった。二人はイギリス産業革命を推進し、工業化社会の基盤を確立させた。ダービー父子のコークス製鉄法が普及したことで、石炭は燃料としてだけではなく、製鉄原料としてその重要性を増し、石炭業も急速に発達した。イギリスの製鉄業では、1780年代にヘンリ=コートが現れ、パドル法と言われる反射炉を用いた技術が生まれる。 
父、ダービー1世 父のダービー(1世、1677-1717)はブリストルで鋳物製造を行っていたが、砂型鋳物製造の特許を取り、事業を安定させ、1709年に石炭をコークス化して燃料として用い、鉄鉱石を熔解する高炉を成功させた。コークスは石炭を蒸し焼きにしてつくり、高炉の中で鉄鉱石と一緒に入れて燃やすと、不純物を除去することができる。また高炉はつねに高温を保たなければならないが、そのために従来は「ふいご」が使われていたがダービーは送風シリンダーを考案し、その問題も解決した。こうして本格的な製鉄業を興し、鍋などの生活用具からニューコメンの蒸気機関用の部品まで製造し、事業を成功させた。
子、ダービー2世 その子のダービー(2世、1711-1763)は、父が死んだときは幼く、家業は義兄が継いでいたが、19歳で経営に加わり、親子二代で製鉄業の事業拡大に努めた。かれのもとでコークス製鉄法は1735年に完成し、1750年ごろ蒸気機関を利用して送風して高炉をつねに高温を保つことに成功し、銑鉄製造技術を飛躍的に発展させた。親子二代の製鉄所のあったシュロップシャー州のコールブルックデールは、現在でもイギリス製鉄業の聖地として存在しており、1779年に作られた世界最初の鉄橋(アイアンブリッジ)が現存し、ダービー親子記念館も開設されている。
(引用)1709年になってはじめて、クエーカー教徒の製鉄業者、シュロップシャーのコールブルックデイルのエイブラハム・ダービイ(父)が、コークスで熔鉱して、立派な銑鉄を作ることに成功した。彼のこの成功が、その熔鉱炉の丈が高く、その送風装置が例外的に強力であったことと関連していたことは疑うべくもない。しかしより重要なことは、彼は手近にシュロップシャーの塊炭をもっており、その石炭から他の石炭から出来るものとは異った、熔鉱炉用として好適なコークスを生産しえたということである。ダービイの発明は、その完全な収穫が得られたのはやっと十八世紀の後半であったけれども、工業国としての英国の将来にとってきわめて重大な結果をもたらした。<アシュトン/中川敬一郎訳『産業革命』 岩波文庫 p.51>
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