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ライン同盟

1806年7月、ナポレオンを盟主として、ドイツの南西部の16諸邦が結成した同盟。この成立によって神聖ローマ帝国は消滅した。

 アウステルリッツの戦い(三帝会戦)でオーストリア・ロシア連合軍を破り、第3回対仏大同盟を崩壊させてヨーロッパ大陸を実質的に支配することとなったナポレオンは、ドイツ諸邦を支配下に組み入れるためにライン同盟を結成した。これはライン連邦とも言う。その結果、多くのドイツ諸邦が神聖ローマ帝国を離脱したため、神聖ローマ皇帝フランツ2世は帝位を退き、名実ともに神聖ローマ帝国は消滅した。
 1806年7月12日、最初のライン同盟参加国はバイエルン、ヴュルテンベルク、レーゲンスブルク、バーデンなど16ヵ国。1807年のティルジット条約成立後、中部・北部の諸邦も加盟した。ライン同盟はナポレオンが、プロイセンオーストリアを牽制するために結成を促したもので、実質はその傀儡政権にすぎず、国家主権は認められたが、戦時にはナポレオンに対し兵力6万3千を出すこととなっており、ナポレオンのロシア遠征にも出兵した。しかし、そのロシア遠征に失敗してナポレオンが急速に力を失った1813年にライン同盟も消滅した。
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