ビスマルクの社会政策
ドイツ帝国の宰相ビスマルクの一連の社会保障制度の創設。社会主義勢力の進出を抑える目的もあった。
ドイツ帝国の首相ビスマルクは、社会主義者鎮圧法を制定して労働者の運動を徹底的に押さえつけたが、その一方、労働者の保護政策や社会保障政策を推し進めた。そのような二面性を「アメとムチの政策」という。80年代にビスマルクが制定した社会保障制度には、医療保険法、災害保険法、養老保険法がある。これらは当時の世界では最も進んだ社会保障制度であり(イギリスではようやく1911年にビスマルクの社会保障政策をまねて国民保険法 を制定した)、それ自体優れたもので、当時としては世界の最先端を行く政策であった。これらの政策は“アメとムチ”といわれたビスマルクの労働者・社会主義運動に対する対策の、アメにあたる政策であった。しかし、ビスマルクがめざしたような社会主義運動の進出を抑えることはできず、なおも弾圧を強化しようとしたビスマルクは退陣せざるを得なくなり、1890年には社会主義鎮圧法も廃止される。