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自由の女神像

アメリカ独立百周年を記念してフランスから送られニューヨーク港に立つた女神像。完成は1886年。

お台場の自由の女神

東京お台場の自由の女神像

19世紀の末、アメリカへの移民の流入が真っ盛りだった頃、移民の上陸港であったニューヨーク港の湾頭に立って、彼らを迎えたのが自由の女神像であった。自由の女神像は、今も、アメリカが移民の国であったことの象徴として立っている。この像は、アメリカ建国百周年(1876年)を記念して、フランスから贈られることになったもので、完成は10年遅れて1886年となった。
(引用)ペドロー島(1956年に改名されてリバティー島)に立つこの像は、ゆるやかな上衣(チュニック)をまとい、冠をつけ、足の下には圧政を踏みつぶし、左手に独立宣言をかかえ、右手は高く松明をかかげている。正式には「世界を照らす自由」という名の女性像だ。像の高さは46メートル、それに台座の高さ47メートル余りが加わって、地上から93メートル余り。ブロンズ製で、世界最大の像といわれる。
 これはもと、アメリカ建国百年の時に当たり、独立戦争中の米仏両国民の協力を記念する事業として、フランス人の間で立案されたものだった。フランス側が像の本体、アメリカ側が台座の建設を受け持つことになった。フランスの若い彫刻家フレデリック=オーギュスト・バルトルディは、1874年に制作を開始、空洞の内部の構造は、やがてエッフェル塔(1889年完成)を建てる建築技師のギュスターヴ・エッフェルが設計、エレベーターと階段で女神の冠まで上ることができるようになっている。台座の建設は資金不足のために中断したが、1885年、あの『ニューヨーク・ワールド』の社主ピュリッツァーのキャンペーンによって、その年の末までに完成した。像の除幕式は、独立宣言の公布より遅れること十年の1886年10月28日に、クリーヴランド大統領も出席して行われた。ニューヨーク湾内には満艦飾の船舶が満ち、マンハッタンの南端にもその有様を見ようという無数の群衆が集まった。<亀井俊介『ニューヨーク』2002 岩波新書 p.206-207>
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亀井俊介
『ニューヨーク』
2002 岩波新書