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ノーベル

スウェーデンの化学者、実業家。1867年にダイナマイトを発明した。その意志に基づいて、1901年から、すぐれた科学研究で実績を上げた人に対する、ノーベル賞を創設した。

 アルフレッド=ノーベル(1833-1896)はスウェーデン人。古くからの火薬(黒色火薬)に代わる、爆発力のある爆発剤として、1860年にニトログリセリンが発明されたが、それを安全に利用する方法を発明したのが、ノーベルであった。ノーベルは二トログリセリンをケイソウ土に吸着させることで、点火することで爆発する爆発剤として開発、それにダイナマイトという名をつけて、1867年に特許をとった。
 さらに改良を重ね、ダイナマイトは平和産業だけでなく銃砲、機雷、爆弾など広く使われるようになった。彼自身がダイナマイトを武器として各国に売り込み富を築き、「地上で最も危険な男」と言われた。また、ロシアのバクー油田を経営し利益を上げた。1896年に63歳で死去。その遺言でノーベル賞が創設された。<平田寛編『歴史を動かした発明』岩波ジュニア新書 p.22>

ダイナマイトの発明

黒色火薬からニトログリセリンへ 中国の宋時代に発明され、13世紀頃にヨーロッパに伝わって、銃や大砲の発火剤に用いられていた火薬とは、硝石・硫黄・木炭を混合した黒色火薬のことである。火薬は17世紀には軍事用としてだけでなく産業用にも用いられるようになった。その需要が増えると、次第に硝石などの原料にたよらず安定した爆発力を持つ火薬が求められるようになった。そのような黒色火薬に代わるものとして、1845年頃、イタリアの化学者ソヴレロが、ニトログリセリンを発明した。それは石けん製造の副産物であるグリセリンを濃硫酸と濃硝酸との混合物で処理することで造られるが、この物質は油のようにどろどろした液体で、揺すったり温度を上げるとすごい勢いで爆破するので、取り扱いに極めて慎重を要した。この強力な爆発力を持つ危険きわまるニトログリセリンの安全化に成功したのが、ノーベルであった。
ダイナマイト ノーベルの父はこの物質を鉱山やトンネル工事に利用しようとして、1860年にストックホルム近くにニトログリセリン製造工場を造り、アルフレッドとその兄弟たちもそこで働いた。ところが完成間もなく弟や多くの職人が爆死するという爆発事故が起き、スウェーデン政府から工場再建を禁止されてしまった。アルフレッドはニトログリセリンを安全に爆破させる方法に取り組み、危険防止のために湖上で実験を繰り返した。1866年のある日、湖上にある一つの樽からニトログリセリンがもれて、詰め物に使っていたケイソウ土に吸収されているのを見つけた。ケイソウ土とは大昔の湖の微生物の死骸が積み重なった多孔質の物質。そこで彼はニトログリセリンをケイソウ土にしみこませて実験をしてみると、ケイソウ土は目方の三倍のニトログリセリンを吸収しても、雷管(発火具)をつけなければ爆発しない安全性を確かめた。彼は1867年、ニトロが3,ケイソウ土が1の割合の混合物をダイナマイトと名付け、特許を取った。さらに1875年にケイソウ土の代わりにニトロセルロース(木綿などの繊維素セルロースを硝酸で処理した爆発性物質)とエーテル・アルコールの混合物コロジオンにニトログリセリンをまぜてゼラチン状にした爆破剤を発明しゼリグナイトと名付けた。
 さらにノーベルはダイナマイトを軍事用発射薬にしたバリスタイトを発明し、製造した。彼はそれを各国に売り込み、それは銃砲、機雷、爆弾なで広く使われるようになった。その威力は、各国に軍事用火薬受け入れられ、19世紀末からの帝国主義列強間の戦争の形態を一変させた。<以上、平田寛編『歴史を動かした発明』岩波ジュニア新書 p.22-25>

ダイナマイトの平和利用

 ノーベルが発明したダイナマイトやゼリグナイトは、火薬では不可能だった採鉱と建設工事に利用され、ヨーロッパの鉱工業を一変させた。
(引用)19世紀末の大規模計画事業の多くは、ゼリグナイトとダイナマイトがなければ非常にむずかしくなり、時間もかかり、不可能な場合さえあっただろう。(アルプスを越える)サンゴタール峠道は1872年からわずか10年で、324の橋と80のトンネルが建設されて本当の道路になった。両側に垂直な岸壁が水面から90メートルもそそり立つ(ギリシアの)コリントス運河は1881~1893年に建設された。アルプス山脈の下を通るシンプロン鉄道トンネルは、1898年の着工からわずか8年で開通した。<クライブ・ポンディング/伊藤綺訳『火薬の歴史』2024 角川ソフィア文庫 p.276>