淮軍/淮勇
わいぐん、わいゆう。郷勇の一つで李鴻章が組織し、太平天国の乱の鎮圧に活躍した。
清朝末期の郷勇の一つ。1862年、太平天国鎮圧のために、漢人官僚の李鴻章が、郷里の淮河の流域、淮南地方で、曾国藩の湘軍(湘勇)に倣って編成した。上海に進出しようとした太平天国軍を破り、湘軍による天京(南京)攻略を助け、1864年の太平天国滅亡に大きな戦力となった。続いて山東地方などで長期にわたって反乱をつづけていた捻軍を討伐し、淮軍とその指揮官、李鴻章の名声が上がった。淮軍は続いて陝西のイスラーム教徒の乱の平定にも当たった。
そのため、日清戦争ではたやすく日本軍に敗れ、ほぼ崩壊した。李鴻章の部下であった袁世凱は、軍隊の近代化に乗りだし、新建陸軍(新軍)を組織することになる。
北洋軍の中核となる
李鴻章が直隷総督・北洋大臣となったため、ともに首都北京に入り、清朝最有力の軍事勢力として北洋軍の中核となった。近代的な装備を持つようになったが、李鴻章の私兵集団という性格が強く、近代的な意味の国民軍ではなかった。そのため、日清戦争ではたやすく日本軍に敗れ、ほぼ崩壊した。李鴻章の部下であった袁世凱は、軍隊の近代化に乗りだし、新建陸軍(新軍)を組織することになる。