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ゴードン

清末の中国で傭兵部隊常勝軍を率い、太平天国の鎮圧で活躍したイギリス帝国主義時代の典型的な軍人。国民的英雄となった後にエジプトに赴任、スーダンで起こったマフディー教徒の乱鎮圧にあたったが、1885年に敗死した。

ゴードン
 ゴードン(Charles George Gordon 1833-85)は、太平天国の乱とアフリカのマフディーの反乱の鎮圧にあたったイギリスの軍人。19世紀イギリス帝国主義(第二帝国)時代のもっとも人気の高い軍人であった。その活動は、クリミア半島、中国、アフリカのエジプト・スーダンに及んだ。

太平天国を鎮圧

 クリミア戦争に従軍後、中国に派遣されアロー戦争に従軍した。1860年、アメリカ人ウォードは、太平天国の攻撃を受けて危機となった上海の商人らに要請され、外人傭兵部隊である常勝軍を編制し、太平軍と戦った。ウォードが戦病死したため、1862年、李鴻章に要請されてその指揮官となった。ゴードン指揮の常勝軍は大砲、銃など近代装備で武装し、李鴻章の組織した淮軍に協力して清朝軍を助け、太平天国軍と戦ってその鎮圧に成功した。

マフディーの反乱で敗死

 名声を上げたゴードンはイギリス帰国後、イギリスの植民地支配に対するアフリカ現地の反乱が厳しくなっていたスーダンの知事、さらにエジプト総督に任命されて赴任した。
 一旦辞職していたが、1881年にアフリカでマフディーの反乱が起きると将軍としてその鎮定にあたることとなり、エジプト軍の救出に向かったがハルトゥームの戦いでマフディー教徒軍との300日にわたる籠城戦の結果、1885年1月26日、敗死した。
 政府の派遣した救援軍が、国民的な人気のあったゴードンの救出に間に合わなかったことから、イギリス国内で批判が高まり、時のグラッドストン首相は総辞職した。
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