新しい自由
1912年、民主党のアメリカ大統領ウィルソンが提唱した政治理念。自由放任行き過ぎを是正して大企業の独占を抑え、公正な競争・経済的機会均等など革新主義の理念に基づいていた。
「新しい自由」New Freedom とは、1912年のアメリカ合衆国大統領選挙に際して民主党の大統領候補であったウィルソンが提唱した政策の理念を言う。「新自由主義※」ともいう。特権的な大企業の横暴を批判し、公正な競争と経済的機会均等、政府の積極的な経済政策などを唱えた。
1913年に大統領就任後、21年までのウィルソン大統領の実際の政策としては、関税引き下げ、鉄道労働者の8時間労働、反トラスト法の強化としてクレイトン反トラスト法の制定、独占監視のための連邦通商委員会の設置、上院議員の直接選挙、禁酒法などの革新政治を行った。
その思想的な背景には、急速なアメリカ資本主義の形成に対応して出現した労働者大衆の諸権利を、従来の大資本家や大農園主らの既得権者から守る必要があるという理念として19世紀末に盛んになった革新主義があった。
※第二次世界大戦後の1970年代に登場した「新自由主義」とは異なるので注意すること。
ウッドロー=ウィルソンは自らも革新主義者であると自認していたので、ローズヴェルト革新党のプログラムに対抗心を燃やして掲げたのが「新しい自由」であった。それは「新しい国家主義」を巨大な官僚機構を前提とする国家による集産主義の構想だと批判し、「個人の自由」の回復を第一に掲げたものだった。
ウィルソンは1913年から大統領として執務したが、当初の内政では連邦準備局(FRB)の創設(全米の銀行を政府の監視下に置こうとするもの)、外交ではニカラグァ、メキシコ、ハイチ、ドミニカなどラテンアメリカへの軍事介入をつづけるなど全政権の共和党の政策を継承するだけで、「新しい自由」の公約は実施されず、期待を裏切った。その「あいまいさ」が払拭されるのは、第一次世界大戦の勃発という外圧だった。 <中野耕太郎『前掲書』 p.38-39>
1913年に大統領就任後、21年までのウィルソン大統領の実際の政策としては、関税引き下げ、鉄道労働者の8時間労働、反トラスト法の強化としてクレイトン反トラスト法の制定、独占監視のための連邦通商委員会の設置、上院議員の直接選挙、禁酒法などの革新政治を行った。
その思想的な背景には、急速なアメリカ資本主義の形成に対応して出現した労働者大衆の諸権利を、従来の大資本家や大農園主らの既得権者から守る必要があるという理念として19世紀末に盛んになった革新主義があった。
※第二次世界大戦後の1970年代に登場した「新自由主義」とは異なるので注意すること。
1912年の大統領選挙
1912年のアメリカ大統領選挙は、現職の共和党タフト大統領に、民主党候補ウッドロー=ウィルソン、革新党のセオドア=ローズヴェルト、アメリカ社会党のユージン=デブスが挑むという形だった。セオドア=ローズヴェルトは共和党の元大統領であったが、いわゆる革新主義を提唱して、退任後後継のタフトが保守的な姿勢に留まっていると不満を表明、新党革新党を結成して再起しようとしていた。その公約は、社会保障制度の充実、累進所得税、8時間労働、企業規制の強化など、文字どおり革新的な内容だった。彼はそのような社会経済への積極的な政府介入を行うことを「新しい国家主義(New Nationalism)」と称した。ウッドロー=ウィルソンは自らも革新主義者であると自認していたので、ローズヴェルト革新党のプログラムに対抗心を燃やして掲げたのが「新しい自由」であった。それは「新しい国家主義」を巨大な官僚機構を前提とする国家による集産主義の構想だと批判し、「個人の自由」の回復を第一に掲げたものだった。
(引用)興味深いのは、この「新しい自由」と名付けられたプログラムにおいても、企業規制が政策の中枢に位置付けられたことである。ウィルソン民主党にとって、反独占は巨大な組織化された力の支配から小経営者を解放し、スモールタウンの熟議と丸太小屋の民主主義を復活させることであった。そして、そのためにはローズヴェルトが言う以上の政府権力の行使も正当化されたのである。<中野耕太郎『20世紀アメリカの夢』シリーズアメリカ合衆国史③ 2019 岩波新書 p.37-38>選挙の結果はウィルソンの圧勝だった。しかし、ローズヴェルトとタフトの得票の合計はウィルソン民主党を大きく上まわっており、ウィルソンの勝利は、共和党が分裂したことが大きな要因となっていた。社会党デブス候補は、重要産業の公営化、社会保障制度、最低賃金法などを掲げ、約90万票(得票率6%)を獲得し、労働者の間にも社会政策への期待が高まりつつあったことがわかる。
ウィルソンは1913年から大統領として執務したが、当初の内政では連邦準備局(FRB)の創設(全米の銀行を政府の監視下に置こうとするもの)、外交ではニカラグァ、メキシコ、ハイチ、ドミニカなどラテンアメリカへの軍事介入をつづけるなど全政権の共和党の政策を継承するだけで、「新しい自由」の公約は実施されず、期待を裏切った。その「あいまいさ」が払拭されるのは、第一次世界大戦の勃発という外圧だった。 <中野耕太郎『前掲書』 p.38-39>