印刷 | 通常画面に戻る |

グアンタナモ基地

1903年にアメリカが永久租借し、それ以来現在まで続いている、キューバ国内にあるアメリカ軍の基地。現在、その返還を巡り両国間の対立がある。

 1898年の米西戦争で、アメリカ軍はキューバの東部、カリブ海に面したグアンタナモ湾に上陸占領した。それによってスペインのキューバ支配を終わらせ、1901年のキューバ憲法でいわゆるプラット条項を押しつけることによって、事実上の保護国化を行った。ついで1903年の互恵通商条約によって、キューバ政府からグアンタナモを永久租借として借り受け、軍事基地とした。それがグアンタナモ海軍基地である。プラット条項は、1934年に撤廃されたが、新たに締結された互恵通商条約によって、グアンタナモ海軍基地は、双方の同意がない限り撤去されない、と規定され、永久化が図られた。

社会主義国内にあるアメリカ軍基地

 アメリカ軍のグアンタナモ基地は、キューバの東の端、カリブ海に面しており、「瓢箪型をした湾の奥はキューバ側が使用し、カリブ海に面した外側が飛行場を持つ米海軍基地」となっている。かつてはパナマ運河に通じる水路を抑える戦略拠点であったが、現在では「キューバに対する政治・心理的前線基地的存在」である。「基地とキューバ側との間には帯状の緩衝地帯が設けられ、キューバ側では常時戦車が巡回している。背後の山岳地帯を軍のジープで上がっていくと、頂上付近に巨大・長大な地下要塞があり、眼下はるかの基地を砲撃できる配置となっている。しかし、キューバは決して武力で基地を解放しようとはしない。それは、米国にキューバに対する全面攻撃の口実、機会を与えるためである。<「 」は宮本信生『カストロ』1996 中公新書 p.9 より引用>

カストロ政権の対応

 1959年、キューバ革命の成功によって成立したカストロ政権はアメリカに対しグアンタナモの返還を要求したがアメリカはそれに応じず、現在に至るまで「キューバ国内にあるアメリカ軍基地」という状態が継続している。キューバ危機の時は基地のアメリカ人家族はいったんアメリカに避難した。その後アメリカは毎年租借料(約4000ドル)を小切手で支払っているが、カストロ政権はそれを現金化せず、事実上は受け取らないという姿勢を貫いている。キューバから基地内に亡命するものを防ぐため、周辺に地雷を設置している。 → 現代のキューバ

グアンタナモ基地捕虜虐待事件

 2001年の同時多発テロを受けたアメリカの共和党ブッシュ(子)は、アフガニスタン戦争やイラク戦争で捕虜としたアラブ人やアフガン人の捕虜をグアンタナモ基地内の捕虜収容所に収容した。アメリカ国内の捕虜収容所でなく、ここが選ばれたのは、ここがキューバにあり、アメリカの法律が及ばないため、捕虜に対する拷問などの人権問題を追及されないという利点と、周りをキューバ側の地雷で取り囲まれていて脱出が困難ということがあるといわれている。ところがこの基地内で捕虜に対する不当な差別(イスラーム教の聖典クルアーンを侮辱するなど)や、苛酷な拷問が行われていることが判明し、世界の人権団体やアメリカ国内からも非難の声が起こった。2009年就任したオバマ大統領はグアンタナモの捕虜収容所を閉鎖することを方針として打ち出したが、アメリカ内の反対も根強く、実現していない。

継続か閉鎖か

 オバマ政権はグアンタナモ基地内の捕虜収容所での虐待など、人権侵害の批判を受け、同施設の閉鎖を打ち出したが、在任中に実現することが出来ず、トランプ政権への交代となった。トランプ政権はその決定を無視して、施設閉鎖を棚上げさせてきた。2021年1月に就任した民主党バイデン政権は2月12日、サキ大統領報道官が記者会見で、同施設の閉鎖は座員中に実現すると表明した。捕虜収容所の閉鎖は既定方針とされるが、そもそも100年以上前の米西戦争の結果としてアメリカが租借した同基地に対しては、キューバ政府が返還を強く求めている。オバマ政権で国交を再開したアメリカとキューバの間でどのような問題の解決が図られるか、注目される。
印 刷
印刷画面へ