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アギナルド

フィリピン独立運動を指導し、1898年フィリピン共和国独立を宣言した初代大統領となった。しかしアメリカとの戦争に敗れ挫折した。

 フィリピン独立運動の最も重要な指導者。マニラ郊外カビテの町長であったが、ホセ=リサールの「フィリピン民族同盟」に加わった。ホセ=リサール逮捕後、1896年8月には「カティプーナン」のメンバーとしてフィリピン革命の蜂起に加わった。しかし、カティプーナンの組織者ボニファシオと対立し、それを反革命として処刑し、革命派のリーダーとなる。山中でゲリラ戦を指導するかたわら、スペイン総督と取引して香港に逃れた。

フィリピン共和国独立宣言

 1898年、米西戦争が勃発すると、アメリカ軍に協力してスペイン軍攻撃に加わり、同1898年6月12日独立を宣言して、大統領に就任した。この共和国を、第1次フィリピン共和国、またはマロロス共和国という。マロロスとは新政府が置かれたところ。

アメリカと戦い敗れる

 米西戦争の結果、フィリピンを領有することになったアメリカは、一転してフィリピンの独立を認めなかったので、アギナルドは今度はアメリカからの独立戦争を戦うこととなった。1899年2月からフィリピン=アメリカ戦争が開始され、アメリカ軍の近代兵器に対してゲリラ戦で抵抗を続けたが、ついに1901年逮捕されてて独立運動は挫折した。こうしてフィリピンはアメリカの統治を受けることとなった。ホセ=リサールと並ぶフィリピン独立運動の指導者であるが、スペインやアメリカとの戦いの中で現実的な取引も行い、相反する評価がなされている。
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