ムハンマド=アブドゥフ
エジプトのパン=イスラーム主義の指導者の一人。アフガーニーの弟子で、イスラーム改革運動に大きな影響を与え、オラービー運動を指導した。
ムハンマド=アブドゥフ Muhammad Abduh 1849-1905 アブドゥとも表記する。パン=イスラーム主義を唱えたアフガーニーの弟子のエジプト人。アブドゥフとは「神の奴隷」の意味。ナイル・デルタ地方に生まれカイロのアズハル学院に学んでウラマーとなる。
恩赦によって1889年にエジプトに帰国したが、その後は政治活動を離れ、理性と啓示の調和、ヨーロッパ文明の諸要素の積極的な吸収、合理主義の立場による伝統の革新など「非西洋的な近代化」に取り組み、イスラーム改革運動の20世紀における新しい展開に大きな影響を与えた。<山内昌之『近代イスラームの挑戦』世界の歴史20 中央公論社 1996 p.247-249>
ムハンマド=アブドゥフの思想は、弟子のラシード=リダーらに継承された。ラシード=リダーは、『マナール』誌を刊行、『固い絆』を継承して、世界のイスラーム圏にもたらされ、各地のイスラーム改革運動のネットワークをつくった。
アフガーニーと共に
エジプトを訪れたアフガーニーに深く私淑し、その影響下で英仏のエジプトからの排除とエジプト王国の専制政治打倒をめざす秘密結社運動に加わり、1881年に始まったウラービー革命に積極的に関わる。そのため国外追放となり、亡命先のパリで1884年にアフガーニーと協力して『固い絆』を刊行した。アフガーニーが革命家、行動の人であったのに対し、ムハンマド=アブドゥフは理論に優れていたので、専ら文筆でパン=イスラーム主義の思想を広めた。恩赦によって1889年にエジプトに帰国したが、その後は政治活動を離れ、理性と啓示の調和、ヨーロッパ文明の諸要素の積極的な吸収、合理主義の立場による伝統の革新など「非西洋的な近代化」に取り組み、イスラーム改革運動の20世紀における新しい展開に大きな影響を与えた。<山内昌之『近代イスラームの挑戦』世界の歴史20 中央公論社 1996 p.247-249>
ムハンマド=アブドゥフの思想は、弟子のラシード=リダーらに継承された。ラシード=リダーは、『マナール』誌を刊行、『固い絆』を継承して、世界のイスラーム圏にもたらされ、各地のイスラーム改革運動のネットワークをつくった。
パン=イスラーム主義のその後
ムハンマド=アブドゥフの思想は、ムスリムが自覚的にイスラームのシャリーアの実践を続けることによって改革は進むという自信に満ちた、言い換えれば楽観的なものであった。しかし、20世紀に入って時がたつにつれ、イスラーム世界の内外の情勢は厳しくなっていった。ラシード=リダーは預言者ムハンマドの時代の純正なイスラーム(信仰)に戻るといういわば復古派の主張となっていったが、一方では同じくムハンマド=アブドゥフから出発していても、ヨーロッパ近代の政教分離の原則をイスラーム世界でも取り入れなければならないと考える近代派に分かれてゆき、いわば後向の改革か、前向きの改革かの路線対立が生じるようによっていく。<佐藤次高編『西アジアⅠ アラブ』新版世界各国史8 山川出版社 2002 p.408> → アラブ民族主義運動