第2次ロシア革命の過程で、1918年1月、革命防衛の部隊として志願制で発足した。6月には一定年齢の勤労者の徴募が行われ、7月10日には18歳~40歳の全勤労者に兵役の義務が課せられることとなった。革命軍事会議の議長である
トロツキーは、旧軍人の中からも積極的に幹部を登用、近代的な装備をほどこし、強力な軍隊に育てた。赤軍は
反革命政権の白軍との内戦、
対ソ干渉戦争、そして革命路線を巡って対立した
社会革命党左派(左翼エスエル)との抗争で大きな力を発揮した。しかし、1920年4月の
ソヴィエト=ポーランド戦争ではポーランド軍に大敗し、ロシア領の喪失を余儀なくされた。