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治安維持法

1925年、日本で制定された「国体護持」のため社会主義など反国家政治運動取締りのための法。1928年、最高刑に死刑が加えられ、軍国主義強化に活用された。1945年、日本の敗北と共に廃止された。

 大正デモクラシーが進展した結果、1925年(大正14年)、加藤高明内閣で普通選挙法(日本)が成立したが、それと同時に治安維持法も制定された。国体(天皇制)の変革や、私有財産制の否定を目的とした結社とその運動を禁止することを法律として可能とした。具体的には、はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた。日本の天皇制軍国主義体制を支える立法であったので、1945年、日本の敗北とともに撤廃された。

1928年3月15日

 日本軍の山東出兵が行われている最中の1928(昭和3)年2月、日本で最初の普通選挙が実施され、政友会・民政党以外に、社会民衆党の4名を含む、いわゆる無産政党から8名が当選した。衝撃を受けた田中義一内閣は、3月15日に治安維持法違反として非合法の日本共産党員や無産政党員、労働運動指導者約千人を逮捕するという大弾圧を行った。翌年4月16日にも地下の共産党幹部を339名を逮捕、起訴した。「3月15日事件」は『蟹工船』(1929)などで知られる小林多喜二の『一九二八年三月十五日』に詳しく描かれている。小林多喜二自身も、のちの1933年、特高警察に逮捕され、拷問の上虐殺された。
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