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大正デモクラシー

第一次世界大戦の前後の日本の大正年間に、政党政治、普通選挙法の実現などの民主主義が高揚した。

 大正は1912年から26年までの15年間。明治末の1911年に条約改正を達成し、それまでに日露戦争に勝利し、日本は近代的国家に移行することに成功した。政治上では藩閥政府の流れをくむ超然主義内閣を民衆の抗議行動で倒した護憲運動の高まりがあり、政党内閣が成立して政党政治が実現した。また第一次世界大戦では欧州諸国が戦争のため生産力が低下したのを尻目に工業化を進め、世界の「大国」の一角を占めるに至った。また資本主義経済の進展に伴い労働運動、社会主義運動も活発となり、とくに1917年のロシア革命後はそれらの運動も激しくなっていった。そのような中で吉野作造の「民本主義」や美濃部達吉の「天皇機関説」などに見られるようなデモクラシーの風潮が一般化していった時代であった。
 しかし、1923(大正12)年の関東大震災を機に、経済は深刻な不況に突入し、次第に軍国主義の風潮が強くなっていく。大正末年の1925(大正14)年には男性普通選挙が実現し、大正デモクラシーは一つの頂点に達したが、同時に治安維持法が制定され、労働運動や社会主義運動に対しては厳しい取り締まりが行われることとなる。
 またすでに明治末年の1910年に朝鮮植民地支配を開始していたが、大正時代には国内での民主主義の発展の一方、第一次世界大戦に参戦して、中国におけるドイツ権益の継承を狙い、二十一カ条の要求を中国に強要して受諾させ、またロシア革命に際してはそれを抑えるためにシベリア出兵を行うなど、大陸への帝国主義的進出をさらに強めていた。
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