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ローザンヌ条約

第一次世界大戦後の連合軍とトルコ共和国との間で、1923年に調印された条約。セーヴル条約を破棄し、トルコは国土保持に成功した。

 第一次世界大戦後、1920年にオスマン帝国のスルタン政府が連合国と結んだセーヴル条約に対し、アンカラのケマル=パシャの率いるトルコ共和国国民政府が廃棄を宣言した。トルコ国民軍がギリシア=トルコ戦争に勝って改めてスイスのローザンヌで連合国との講和会議が開催され、1923年7月にローザンヌ条約が成立した。

トルコの国土回復

 ローザンヌ条約でトルコはイズミル(スミルナ)、イスタンブル、東トラキアなどの領土を回復した。ダーダネルス=ボスフォラス海峡は国際海峡委員会のもとで各国に開放されたが、沿岸部のトルコ主権は承認された。また、陸海軍の軍備制限は撤廃され、スルタン政府がかつて認めた治外法権カピチュレーションも全廃された。

ギリシアとの住民交換協定

 さらに、ギリシアとの間には、それぞれの領内の自国民を交換する、住民交換協定が成立し、小アジアのギリシア人はほとんどがギリシア本土に移住した。ただし、クルド人は、セーヴル条約では独立が認められていたが、ローザンヌ条約ではその権利について触れられていなかったため独立は取り消され、クルド人問題として残り、現在もイラク、アルメニア領内のクルド人も含めて、独立を要求する運動が続いている。
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