ナジ=イムレ
1956年のハンガリー反ソ暴動を指導した改革派政治家。ソ連によって処刑された。
Nagy Imre
1896-1958
ハンガリー反ソ暴動
スターリン批判に伴って始まった1956年のポーランド反ソ暴動の影響を受け1956年10月23日、ハンガリー共和国でもハンガリー反ソ暴動が勃発すると、国民の支持を受けて首相に復帰し、複数政党制の導入などの改革を図り、ワルシャワ条約機構からの脱退とハンガリーの中立を表明した。ソ連は軍事介入して暴動を鎮圧し、改革撤回を迫り、拒否したナジは再び解任された。ナジはユーゴスラヴィアに亡命を図ったが、ソ連軍に捕らえられ、その後処刑されたと発表になった。ナジ=イムレの復権
1989年、ハンガリーの民主化が進むなかで、大々的な歴史の見直しが行われた。その最大の焦点は1956年のハンガリー反ソ暴動とそのときの指導者ナジ=イムレの評価だった。新政権は暴動を「大衆蜂起」と規定し、ナジ=イムレの有罪を取り消して、外部の干渉を排除し反革命のために戦ったと再評価、再埋葬を行うと決定した。ブダペストの無縁墓地に埋葬されていた遺体は発掘され、6月16日、市の中央の英雄広場で政府首脳、10万人の市民が集まる中、再埋葬式が行われた。<三浦元博、山崎博康『東欧革命』1992 岩波新書 p.63-65> → ハンガリー共和国の現在