印刷 | 通常画面に戻る |

人間の顔をした社会主義

1968年、チェコスロヴァキア民主化運動を進めた「プラハの春」でドプチェクらが掲げた社会主義の新たな理念。

 1968年、チェコスロヴァキア社会主義共和国で「プラハの春」を指導した共産党第一書記ドプチェクが掲げた路線であり、同年4月の「チェコスロヴァキア共産党行動要領」で「社会主義へのチェコスロヴァキアの道」と題され、新しい国家目標として掲げられた。ドプチェクはその中で、社会主義が民主主義と自由を否定するものであってはいけないとして、さまざまな改革に着手した。しかし、その動きを社会主義からの逸脱ととらえたソ連のブレジネフ政権は同年8月に軍事介入した。このチェコ事件によってドプチェクの改革は葬り去られた。この時ドプチェクが掲げた「人間の顔をした社会主義」とは、次のように要約することができる。

共産党行動要領の内容

 まず現状を「中央集権的、指令的、行政的な方法が・・・次第に官僚主義的体系に転化し・・・セクト主義、人民の民主的な権利と自由の抑圧、法律の侵犯、専横と権力乱用の徴候が共和国の内部に現われ、人民の創意を損い、さらに・・・多くの市民をひどく、しかも不当に苦しめるにいたのである。」として、「これらの欠陥はなによりもまず古い指令管理制度の維持およびその不断のくり返しによって、直接引き起こされた。すなわち経済手段、需要と供給の形態、市場的結合が中央からの指令と取り替えられた。社会主義的企業は拡大しなかった。経済生活においては人民の自主性、勤勉、専門技術、創意は評価されず、その反対に卑屈、服従、さらには上司へのおべっかさえもが賞揚された。」と述べている。そのようなゆがみをただし、「社会主義的民主主義」の実現を掲げ、党員の団結と信頼回復を呼びかけた後に、具体的方針を提示した。その中の主な項目は次のようなものである。
  • 党と国家の分離、一党独裁の否定 「党機関が国家機関、経済管理機関、社会団体にとって代わったり、あるいはこれらを入れ替えたりするようなことは完全にやめなければならない。」「社会主義社会の権力はただ一つの党、あるいは党の連合によって独占されてはならない。」(レーニン以来のボリシェヴィキ独裁の思想=ボリシェヴィズムを否定。)
  • 基本的人権の尊重 「権利なければ責任なし」という原則を明確にし、 ・集会および結社の自由の保障、・事前検閲の排除、・言論の自由の保障、・移転と外国旅行の自由が認められる。また過去に不当に迫害された人々の復権をはかること。
  • チェコ人とスロヴァキア人の平等 二つの民族の平等な合体として出発したチェコスロヴァキア共和国であるが、現実には(工業力の豊かな)チェコの優位が強かった。また「多数決の原則」に従えば、スロヴァキアの要求は実現できない事が多かった。それを改め、両民族は対等な連合関係とするため、スロヴァキア民族評議会を立法機関とし、その閣僚会議を独自の執行機関とするなどの改訂を加える。またハンガリー人、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人など少数民族の地位と権利を保障する。
  • 議会制民主主義と政党政治の復活 被選出機関の権力は選挙人の意志から生じる。近い将来、現実的、調和的な選挙制度を作り上げ、チェコスロヴァキア社会主義共和国の国家権力の最高機関として国民議会の地位を現実のものとする。チェコスロヴァキアの政党は国民戦線に加盟するものでなければならない。国民戦線の政治的権利を否定することは1945年の悲劇的体験によって禁止されている。しかし国民戦線が新しい課題を遂行できるようにそのあり方は根本的に再検討されなければならない。
  • 権力の分割と監視-専断を防ぐ保証 職業的公務員に必要な保護を与えるとともに、必要に応じて替えることができるような関係と規則を考える必要がある。また国家機構全般にわたって、一つの部門、一つの機関、一人の個人に過度に権力が集中しないようにする必要がある。
  • 経済の民主化 社会主義は企業なしにはやっていけない。経済民主化のプログラムには特に、企業や企業集団の自主性とそれらの国家機関からの相対的な独自性、消費者が自分の消費や生活様式を決定する権利、労働活動を自由に選ぶ権利、・・などが含まれている。(明確には述べられていないが、国家管理下の計画経済の廃棄と、市場経済の導入が想定されている。)
    • 国際分業に効率的に参加する。コメコンとの経済協力は維持するが、その他の世界市場にも積極的な開放をはかる。
    • 従来の工業偏重ではなく、農業、消費財工業、商業、サービス部門、住宅建設など、生活水準の向上を課題とする。
    • スロヴァキアの資源の合理的な利用で共和国の発展を図る。
  • 科学、教育および文化の発展(略)
  • チェコスロヴァキアの国際的地位と外交政策(略)
 <以上、『戦車と自由Ⅰ』1968 みすす書房 p.189-242>
 これらは、社会主義を否定するものではなく、社会主義によって民主主義をめざすものであり、行動綱領の言葉では「社会主義的民主主義」であある。現在では「人間の顔をした社会主義」と言われることが多い。行動要領では「社会主義は単に労働人民を搾取的な階級関係の支配から解放したにとどまらず、どのようなブルジョア民主主義が与えるよりも人間らしい充実した生活を送れる可能性をふやさなければならない」と言っている。 → 社会主義運動

背景

 当時東欧社会主義圏では、スターリン批判(1956年)から始まった内政での民主化と、外政での平和共存といった「雪解け」と言われた路線が、1964年からのソ連のブレジネフのもとで後退していた。背景には中ソ対立やルーマニア・アルバニアなどの離反など、社会主義陣営内部の対立の激化があった。ソ連の停滞も次第に明らかになり、社会主義国は共産党一党独裁体制に対する政治的不満と、経済の停滞による西欧諸国との格差、権力者党官僚と一般市民の生活感情のズレなどが深刻となっていた。チェコスロヴァキアにおいて1960年代に経済成長の停滞が表面化していた。
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

『戦車と自由〈第1〉―チェコスロバキア事件資料集』
1968年 みすず叢書