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フォークランド戦争/マルビナス戦争

1982年、南大西洋上のフォークランド諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの軍事衝突。イギリス領である同島に、アルゼンチン軍事政権が領有を主張して軍隊を上陸させたことに対し、イギリスのサッチャー首相は反撃して軍隊を派遣し、奪回に成功して人気を上昇させた。

サッチャーの強硬策

フォークランド諸島

フォークランド諸島 Yahoo Map に加筆

 フォークランド諸島は大西洋の南部、アルゼンチンの沖合にある人口2000程度の島で、アルゼンチン側ではマルビナス諸島と言っている。この島をめぐって1982年4月~6月、イギリスとアルゼンチンの間で軍事衝突が起こった。日本では、フォークランド紛争と言うことが多いが、まぎれもない戦争であった。また、アルゼンチン側では当然、マルビナス戦争といっている。イギリスから1万2千キロ離れた島々を実効支配していたが、領有を主張するアルゼンチンが軍隊を上陸させた。それに対してイギリスのサッチャー首相が陸海軍を派遣して奪回、イギリス領を確保した。第二次世界大戦の後に、高度な装備をもつ海軍、空軍が衝突した最初の戦争となった。

イギリス人による発見

 イギリスの航海者キャヴェンディッシュは1586~88年に、ドレークに次いでイギリス人として二番目の世界周航を成功させた。1591年、第2回目の世界周航に向かったキャヴェンディッシュ艦隊は、マゼラン海峡で荒天に遭遇、「バドミントンの羽子さながらに弄ばれ」、大西洋側に吹き戻され、ブラジルに引き返した。艦隊の一つディザイア号に乗った副将ジョン・ディヴィスは再び海峡突破に挑戦し、一度は太平洋に出たが元のところまで吹き戻され、「船体は筏のごとく帆はリボンと見紛う程ずたずたに引き裂かれ」大西洋に退却した。この航海の時、ディヴィスはフォークランド諸島を発見した。なおキャヴェンディッシュはイギリスに戻る途中、海上で死去、ディヴィスは乗組員67名中の残った16人と共にアイルランドにたどり着いた。<ペンローズ『大航海時代』筑摩書房 荒尾克己訳 p.230>
 その後、スペインやフランスも進出し、その領有を争ったが、1833年以来、イギリスが占領し、ジョン・ディヴィスの発見を以て占有権を主張し、実効支配を続けていた。

戦争の勃発

 かねて領有権を主張していたアルゼンチンの軍事政権のガルチェリ大統領がナショナリストに迎合して、1982年4月、まず民間人を上陸させ、イギリスが抗議すると突如軍を派遣してイギリス守備隊を降伏させて占領した。イギリスにとっては、同諸島は特に必要なものではなかったので、国内には奪回に否定的な意見や、国連やアメリカなどの平和的解決の斡旋申し出などもあったが、サッチャー首相は「侵略者が得をすることはあってはならない」として譲歩を拒み、同年5月にイギリスの陸海軍、空軍、特殊部隊を動員(アメリカ軍、NATO軍も協力)してアルゼンチン軍を撃退し、6月中旬に奪還し、勝利した。

フォークランド戦争の意味

 当時、社会保障費の削減などで人気が落ちていたサッチャー内閣にとって、人気回復の好機となり、その勝利によってイギリスの栄光の復活を掲げる同政権の支持率が急上昇した。一方アルゼンチンのカルチェリ大統領は人気を急落させ、退位した。
 この戦争は、第二次世界大戦後、西側諸国である国同士が衝突し、しかも高度に機械化された軍同士の衝突であったため世界の注目を浴びた。戦傷者はイギリス500人(戦死256人)、アルゼンチン750人(戦死654人)であったが、人員の損害よりも艦艇や航空機、ミサイルなどの損耗が多く、また戦況がテレビなどで同時的に報道されたところも、90年代の湾岸戦争に先立つ現象であった。
 またこの時、国連の安全保障理事会は、アルゼンチンの侵略行為として認定して非難し、イギリスに対しては平和的な解決を勧告したが、イギリスが実際の軍事行動に踏み切ってもそれを黙認し、戦争を回避することはできなかった。イギリス自身の国連無視の姿勢には国連自身の調整力が無力であったことが露呈してしまった。

News フォークランド、なお火種

 フォークランド紛争以来、イギリスとアルゼンチンは関係を断絶していたが、90年2月、ようやく外交関係を回復させた。しかし両国とも領有権の主張を取り下げていない。紛争から28年経った2010年2月、火種がまだ燻っていることがわかった。周辺海域で海底油田の開発を目指していたイギリスの石油会社が試掘を行ったことに対し、アルゼンチンが反発したのだ。アルゼンチンのキルチネル大統領(女性)は不正蓄財の疑いなどで人気がなく、人気挽回を狙い強硬姿勢に出た。アルゼンチン側は2月の中南米・カリブ海地域32ヵ国首脳会議で訴え、同首脳会議派全会一致でフォークランド(マルビナス)はアルゼンチン領であることを決議した。イギリスのブラウン政権は静観の構えだが、野党側から弱腰の批判は避けなければならないという選挙に向けて引き下がれない事情があり、事態が憂慮された。しかし、試掘の結果、3月に石油の質が低く開発は商業的に見合わないことが判明して緊張は遠のいた。<朝日新聞 2010年4月5日記事>
 領土問題はそれぞれ国内事情があって難しくなってしまう例であろう。

参考 領有権紛争

 日本周辺でも東シナ海に浮かぶ無人島である尖閣諸島に同じような危機だとされている。一部で盛んに煽られているような中国のゲリラが尖閣に上陸するなどということは、国際情勢から言ってありえないと思われるが、国民の見えないところで「衝突」は作り出されるかも知れない。そのとき、日本の為政者が「侵略は許されない」として自衛隊を派遣することはあり得る。実際にはあり得ないこと、あってはならないことを「偶発的」「民間人の行為」としてあったことにするか、あるいは「あるかもしれない侵略から国民の財産を守る」として自衛力を集団的なものまで拡張しておくという理屈で、社会保障の切り捨てなどでの不人気をカバーしようとしているなら、フォークランドのサッチャーを見習おうとしているのかもしれない。
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