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マカオ返還

ポルトガル植民地であったマカオは、イギリス領香港と同様に返還要求が強まり、1999年に中国に返還され、一国二制度が導入された。

 ポルトガル植民地のマカオは1887年に正式にポルトガルに割譲され、その植民地として第二次世界大戦後も続いていた。1967年に中国人小学校の増改築をポルトガル当局が認めなかったことをときっかけに起こったマカオ暴動で、共産党系中国人が殺害されるという事件がおこり、中華人民共和国は賠償を要求した。当時のポルトガルのサラザール独裁政権は弱体化しており、その要求を呑んだ。この事件をきっかけに、中国のマカオ返還要求は次第に高まっていった。
 1974年、カーネーション革命と言われたポルトガルの民主化によって成立した政権は、すべての海外領土を段階的に放棄する方針を打ち出し、マカオについては1976年に「特別区」として大幅な自治を認た。

中国への返還実現

 1984年に中国とイギリスの間で香港返還についての交渉が始まると、ポルトガル領マカオでも気運が高まり、1987年にポルトガル=中国間でマカオ返還の共同声明が発表された。それにもとづいて、1999年12月20日にマカオの主権・行政権は中国に返還され、中華人民共和国の特別行政区となった。
 香港と同様、一国二制度を原則とし、50年間は現状を変更しない約束となっており、行政長官は選挙委員会で選出された人物を中国政府が任命する承認するかたちをとるが、カジノなどの自由経済はそのままであり、公用語は中国語とともにポルトガル語も認められているほか、植民地時代の法律が継続されている。しかし、香港と同様、完全な言論の自由、政党結成などは認められておらず、大きな問題を含んでいる。
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