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リュクルゴスの制

古代ギリシアのスパルタのリュクルゴスが作ったという政治体制。

リュクルゴスはなかば神話的な人物。スパルタにはリュクルゴス以前から二つの王家があったが、そのもとでの国政の全体はリュクルゴスが作り上げたとされている。国家主権は民会にあり、二人の王を含む三〇人の長老からなる長老会が民会にかける提案を用意する。またギリシア最強と言われる重装歩兵ファランクスから成る陸軍をもち、その軍は地縁的な五部族に立脚してる。そのすべてをリュクルゴスの改革に帰することはできないが、おおよそは前6世紀までに出来上がったものと思われる。また、スパルタ市民の経済的基礎をなすクレーロスの平等を旨とした分割、およびその売買譲渡の禁止もまたリュクルゴスに帰せられる。<太田秀通『スパルタとアテネ』1970 岩波新書 p.86による。なお、プルタルコス『英雄伝』上(ちくま学芸文庫版)にはリュクルゴス伝がある。>

Episode ヘロドトスの伝えるリュクルゴス

(引用)「スパルタで名望高かったリュクルゴスという人物が、神託を乞うためデルポイに行ったとき、奥殿に足を踏み入れるやいなや、巫女が次のようにいった。”リュクルゴスよ、わが豊かなる社に来たりしよな。そなたはゼウスをはじめ、オリュンポスに住まう八百万の神の寵児じゃ。わが託宣を授くるそなたはそも神か人か。いやそなたは神であるぞ。”巫女はさらに、現在あるスパルタの国制をリュクルゴスに伝授したとも伝えられる。しかし、スパルタ人自身の伝承に拠れば、これはリュクルゴスが、彼の甥で当時スパルタの王であったレオポテスの後見役となった後、クレタ島からもたらしたものであるという。すなわち彼は甥の後見役になるとすぐ、法律をことごとく改変し、新法の違反を厳重に取り締まったのである。リュクルゴスはその後さらに、兵制を改めて、血盟隊、三十人隊、共同食事などの制度を定め、また監督官や長老会を創設したのである。このようにしてスパルタは変貌し、国制が大いに整ったが、スパルタ人はリュクルゴスの死後、彼のために聖廟を建て、深く尊崇して今日に及んでいる。」<ヘロドトス『歴史』巻一 65~66節 松平千秋訳 岩波文庫(上) p.52-53>
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第1章2節 オ.アテネとスパルタ