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エパミノンダス

ギリシアのポリス、テーベの将軍。前371年にスパルタと戦って勝利し、テーベの覇権をもたらした。

 エパミノンダス(Epameinondas 前418~前362 エパメイノンダスとも表記する)は、前4世紀前半のギリシアのポリス、テーベ(テーバイ)の将軍。ペロポネソス戦争後にギリシアの覇権を握ったスパルタと対立し、前371年のレウクトラの戦いで正面から衝突した。エパミノンダスの戦いはギリシアの各ポリスの市民軍の基本戦術であった重装歩兵・密集部隊(ポプリテス=ファランクス)の戦い方に「斜線陣」といわれる新戦術をとりいれたもので、当時最強と言われたスパルタ軍を破ったので多いに名声を挙げた。その結果、テーベは10年にわたりギリシアの覇権を握ったが、前362年にふたたびスパルタと戦い、勝利したものの彼自身は戦死し、テーベの勢力は急速に衰えた。

エパミノンダスの斜線陣

 前371年のレウクトラの戦いは、強力なスパルタ陸軍を、新興勢力のテーベ軍が予想に反して破った戦いとして名高い。その指揮を執ったエパミノンダスの戦術は斜線陣といわれるもので、左翼に重装歩兵密集部隊を縦隊で厚く備え、中央と右翼には機動性のある騎兵と軽装兵を左翼よりも後方に置いて敵との接触を遅くなるように配置した。スパルタ軍は従来どおり、中央、左右両翼とも横隊で一列に並べていた。エパミノンダスはまず左翼を敵の劣勢な右翼につっこませて突破し敵陣の背後に回り、転回してスパルタ軍を包囲し殲滅した。これがエパミノンダスの新戦法だった。テーベ軍はペロポネソス半島に侵入し、スパルタに迫ったが、前362年のマンティネアの戦いでスパルタ軍に勝ちながらエパミノンダスが戦死し、以後急速に衰えた。<村川堅太郎『ギリシアとローマ』1961 世界の歴史2 中央公論社 p.135-137>
 このエパミノンダスの斜線陣は、アレクサンドロス大王のアルベラの戦い(ガウガメラの戦い)、ハンニバルのカンネーの戦いでも採用された。

Episode テーベを救ったもう一つの戦術

 ギリシア最強を誇ったスパルタ軍が、前371年のレウクトラの戦いで大敗したのは、エパミノンダスの斜線陣の戦術であったが、実は今ひとつの理由があった。当時、エパミノンダスの親友で、ともにテーベで寡頭制を倒して民主政を実現することに力をふるったペロピダスという人物が、エパミノンダスの本隊を助けるべく、「神聖隊」という300人の兵士を率い、動揺したスパルタ軍に対して猛攻を加えたことであった。
(引用)この「神聖隊」というのは国家によって特別に要請された選抜隊であったが、それはたがいに愛しあう戦士二人ずつのグループの一団であった。愛人である戦友たちが身を挺して友を助け、友の前に卑怯なふるまいをみせまいとすることから勇猛無比をうたわれていた。その武装の詳細は伝わっていないが、友愛でむすばれているところ、いかみのギリシア的な奇襲隊であった。<村川堅太郎『ギリシア・ローマの盛衰』講談社学術新書 p.120>
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1章2節 ク.ポリスの変質