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専制君主政/ドミナートゥス

3世紀末のディオクレティアヌス帝に始まるローマ帝国の政治体制。

 ドミナートゥス。ローマ帝国ディオクレティアヌス帝は、宮廷に煩雑な儀礼を導入し、ユピテル大神の化身であると自称し、豪華な金糸で飾られた帝衣をまとい、皇帝をドミヌス(陛下)と呼ばせた。元老院はほとんど形骸化し、ローマの共和政の伝統は途絶えて、ローマ皇帝は東洋的な専制君主となった。このような帝政のありかたを帝政前半のプリンキパトゥス(元首政)に対して、ドミナートゥス(専制君主政)という。

後期ローマ帝国の国家形態

(引用)後期ローマ帝国は、それ以前をプリンキパトゥス(元首政)とよぶのに対して、ドミナートゥスとよぶ。それは皇帝の地位が、司法、行政、立法、軍事すべての権限をもつ専制君主(ドミヌス)となったことからの命名で、皇帝がキリスト教徒となってからは皇帝位は神の恩寵に基礎づけられて(キリスト教神寵帝理念)宗教的に聖化されるまでになった。<弓削達『地中海世界』新書西洋史② 1973 講談社現代新書 p.169-170>
  • 軍制 皇帝の実力基盤である軍隊の増強と軍制改革に最も力が注がれた。総兵力は少なくとも50万、多い推定で73万余、元首政初期の約30万の倍増である。全軍は国境防衛軍と野戦機動軍に分けられ、騎兵の重要性が増大した。また隣接の蛮族と同盟を結び、ローマ正規兵と同額の年金を一括して支払って国境防衛を受け持たせ、辺境地帯に定住させて耕作と防衛にあたらせた。
  • 官僚制 全帝国は数個の道に、各道は数管区に、各管区は数属州に分かれ、属州は一〇〇に達した。
  • 税制 元老院議員や都市参事会員層の収める財産税や商工業者の収める取引税もあったが、中心はカピタティオ=ユガティオとよばれる、地租と人頭税を一括した独特の農業課税であった。この課税のためにケンスス(戸口・財産調査)にもとづく徴税用の台帳がそなえられた。
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1章3節 カ.西ローマ帝国の滅亡