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ユリウス暦

カエサルがエジプトの太陽暦をローマに導入して用いた暦。前45年から用いられてヨーロッパで普及し、1582年のグレゴリウス暦制定まで続いた。

 古代ローマでは前7世紀から太陰暦をもとに、1ヶ月を29日、1年を12ヶ月、1年が355日の暦を使っていたが、地球の公転周期(365.242……日)とのずれが生じてきたため、前400年ごろから隔年に22~25日の閏月を入れて調整するようになった。その運用は神官にまかされていたが、前1世紀ごろには実際の季節と暦との間に約2ヶ月のずれが生じた。そこでカエサルは、前46年、エジプトのアレキサンドリアで行われていた太陽暦を採用し、365日と1/4を1回帰年とし4年ごとに閏年をおく、いわゆる「ユリウス暦」を制定した。この新しい暦は前45年1月1日から実施された。
 実際の季節とほぼ一致するこの方式はローマ世界で広く用いられ、中世ヨーロッパでも継承されたが、100年に0.8日ずつ実際の太陽の周期とずれるため、16世紀終わりごろにはその差が10日ほどに広がり、不都合が生じてきた。そこで、ローマ教皇グレゴリウス13世は暦法の改訂を命じ、1582年の「グレゴリウス暦」が制定、施行された。カトリック地域ではグレゴリウス暦が採用されていったが、東方教会やプロテスタント諸国ではローマ教皇による暦の改訂に反発し、ユリウス暦の使用を続けるところも多かった。特にイギリスでは18世紀までユリウス暦が用いられていた。 → キリスト紀元 / 西暦 授時暦
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