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キリスト紀元

イエス=キリスト生誕年を元年とする西洋紀元。525年に考案され1た。

現在、ほぼ世界共通の紀年法とされているキリスト紀元は、6世紀にキリスト教の教父によって始められたもので、10世紀ごろまでに西ヨーロッパで定着した。キリスト紀元はイエスの生誕年を元年としているが、現在の研究では、実際のイエス生誕年は前4年ごろとされて、ずれている。

キリスト紀元作成の事情

 暦はローマ帝国以来、カエサルが作成したユリウス暦が用いられていたが、起算とされる年はローマ建国年(キリスト紀元の前753年)とする数え方やオリンピアド紀元(ギリシアの古代オリンピア競技会が始まった前776年)の数え方、他に284年を第1年とするディオクレティアヌス紀元、313年を元年とする数え方などが混在して西ローマ帝国滅亡後も用いられていた。6世紀にこれらに代わってキリスト紀元が作られたが、その理由は、カトリック教会の最も重要な祝祭日である復活祭の日を決定するという問題があったからであった。復活祭は移動記念日で、3月21日以後の最初の満月のあとに来る第一日曜日と定められていた(これが定められたのはコンスタンティヌス帝の二ケア宗教会議であった)ので、教会では毎年の復活祭の日付を計算し、表にしていた。ところが525年にその表もあと6年で尽きるところまできたので、新たに復活祭表を作成することになった。その算定を行ったスキタイ生まれのローマの修道士ディオニシウス=エクシグウスが、キリスト紀元の発案者となった。従来の復活祭表がディオクレティアヌス紀元が用いられていたので、エクシグウスはそキリスト教迫害者の年代を用いるのではなく、主イエス=キリストの体現から年を数えるようにしようと提唱し、イエスの生誕の日を12月25日としてその年の1月1日を始まりとした。その年は後に「主の年」(anno domini, A.D.)と言われるようになり、それが定着した。

キリスト生誕年の決定

 ディオニシウス=エクシグウスは、イエスの復活が3月25日の日曜日、満30歳の時の出来事であるとした(3月25日はイエスの受胎告知日、天地創造の日とも考えられていた)。また当時、532年間で復活祭の移動が一巡すると知られていた。そこで彼はまず自身の時代で、3月25日の日曜日に復活祭が当たる年を探し、それがディオクレティアヌス紀元の279年であることが判った。その年は復活祭の移動がちょうど一巡した年に当たるはずなので、一巡に要する532年にイエスの生誕年からの数、31を加え、ディオクレティアヌス紀元279年=キリスト紀元563年の等式を得、その結果としてキリスト生誕年を決定した。

キリスト紀元使用の一般化

 525年に考案されたキリスト紀元はすぐに定着したわけではなかった。まずイングランドの教会で、664年の宗教会議においてディオニシウス=エクシグウスの復活祭表を用いることが決定され、イギリスの教会で定着した。イギリスはいわゆるカロリング=ルネサンスの中心地となり、そのアルクィンなどによってフランスのカール大帝の宮廷で用いられるようになった。カール大帝は勅令に世俗的な紀元と並べて初めてキリスト紀元を用い、その年を「われわれの主イエス=キリストの体現から801年」とした。このようにカール大帝がキリスト紀元を用いたことが大きな普及要因となったが、さらに西ヨーロッパ全域に定着するのはようやく10世紀のことである。しかし、そのころまでローマ以来の紀年法も併用されており、「キリスト前(BC)」という年号は用いられなかった。<岡崎勝世『聖書VS世界史』1996 講談社現代新書 p.58-61>
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第6章1節 エ.ローマ=カトリック教会の成立
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岡崎勝世
『聖書VS世界史』
1996 講談社現代新書