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授時暦

1280年、元の郭守敬がイスラーム暦をもとに作った暦。現在のグレゴリウス暦に等しい正確さだった。

 フビライ=ハンに仕えた郭守敬イスラーム暦に刺激されて、1280年に作った暦法。
 中国では殷周時代以来、各王朝が制定する太陰暦(実際には太陰太陽暦)で1年を365.25日とするされていたが、授時暦では1年は365.2425日で、地球の公転周期との差はわずかに26秒であった。その正確さはこの約300年後の1582年、ローマ=カトリック教会でグレゴリウス13世の時に考案され、現在通用しているグレゴリウス暦(ヨーロッパでそれまで用いられていたユリウス暦に変わり制定された暦法)に等しいという正確なものであった。授時暦は高麗に伝えられ、高麗の暦法にも影響を与えた。さらに日本にも影響を与え、江戸時代の渋川春海が1685年に作った「貞享暦」も授時暦に基づいている。

その後の中国の暦法

 中国では、次の明朝が授時暦を一部修正して、1368年に大統暦を採用した。授時暦・大統暦は優れた暦法であったが、次第に暦日と実際の気候とが合わなくなり、農作業に支障が出始めた。イエズス会の宣教師アダム=シャールが弟子の徐光啓とともに西洋暦法による新暦を作成、明末の1629年に『崇禎暦書』を著すと、楚の正確さが知られるようになったが、間もなく明が滅亡し、暦改訂は実現しなかった。次の清朝は、新たな暦の制定に熱心で、アダム=シャールに命じて新暦の制定にあたらせ、1645年から時憲暦として実施された。グレゴリウス暦(太陽暦)に切り替わるのは、辛亥革命の翌年、中華民国第1年の1912年からである(日本の太陽暦切り替えは1873年)。

出題

 東京大学 2007  第2問 問(3) 中国では古くから、天体観測に基づく暦が作られていたが、支配者の権威を示したり、日食など天文事象の予告の正確さを期するため、暦法が改変されていった。元~清の中国における暦法の変遷について、4行(120字)以内で説明しなさい。

解答(例)

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ノートの参照
第6章3節 ウ.モンゴル時代のユーラシア