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カエサル

前1世紀、ローマ共和制末期に独裁的な権力を振るい、共和派に暗殺された人物。

カエサル
カエサル
 カエサル Caesar は英語読みでシーザー。前1世紀のローマ共和政末期の軍人、政治家。ポンペイウスクラッススとの第1回三頭政治の後、権力を集中させ、終身独裁官となる。最後は皇帝となることを狙ったが、共和派によって暗殺される。 → 内乱の1世紀

平民派として台頭

 名門であるが貧乏貴族の家に生まれた。生年には前100年と102年の2説ある。禿げ上がった大きな頭と張り出たえら、口をへの字に曲げ下唇が突き出ていて、けして美男ではなかったが女性には人気があり、部下は「禿の女たらし」と呼んだという。マリウスの甥にあたり、また平民派キンナの娘コルネリアを妻としていたので平民派と見られた。一時はスラから離婚を命じられ、それを拒否してローマを追放された。スラ引退後、属州スペインの総督として財力を蓄え中央政界に復帰した。

第1回三頭政治

 前60年、ポンペイウスクラッススの支持を得て執政官となった。これが第1回三頭政治である。
ガリア遠征 カエサルは軍事力の基盤を固めるため、前58年からガリア遠征を実行。前50年までの9年間にわたって現在のフランス、ベルギー、さらにブリテン島にも侵入し、転戦を続けた。それによってローマ領に近接するゲルマン人をほぼ平定した。その成功はカエサルの名声を高めることとなり、一方、クラッススは東方遠征に向かったがパルティアとの戦いで戦死してしまった(前53年)。ローマに残ったポンペイウスは元老院と結び、独裁権を得ようと画策する。

独裁権力の獲得

 それを知ったカエサルは、前49年1月10日属州とローマ本土の境界線であるルビコン川を超え(「賽子は投げられた!」)、ローマに入り、ポンペイウスを倒して独裁権力を握った。敗れたポンペイウスは東方に向かい、最後はエジプトに逃れたがそこでプトレマイオス朝の王に裏切られて殺された(前48年)。ポンペイウスを追ってエジプトに入ったカエサルはプトレマイオス朝の王を廃してその姉のクレオパトラを女王とし、二人は夫婦ともなった。ローマからの帰還要求に応え、途中小アジアを平定(「来た、見た、勝った。」)してからローマに帰った。さらにアフリカを拠点としていた保守派のカトー、スペインのポンペイウスの残党などを破り、権力を集中させた。

カエサルの独裁政治

 カエサルは三頭政治の崩壊の後、エジプトに遠征してポンペイウスを破り、さらに小アジア、アフリカ、イベリア半島に遠征をつづけて反対勢力をすべてつぶし、圧倒的な軍事力を背景に前46年ローマに戻り、10年間の独裁官(ディクタトル)に就任した。その後も元老院を有名無実化して、インペラトル(軍の最高司令官)として事実上の独裁政治を行った。その内政の主なのもには次のようなものがある。
  • 海外に植民市を建設し、約8万人の遊民(無産市民)を入植させる。
  • 穀物配分を32万人から15万人に削減する。
  • 結社を禁止する。また牧場の労働者のうち3分の一は自由人であること。(奴隷反乱の防止)
  • 混乱していた暦を改訂して、太陽暦(ユリウス暦)を制定した。
  • ローマの都市計画の立案(実現せず)。
  • 市民権の拡大。ガリア=キサルピナに一括してローマ市民権を与える。
  • 属州民に市民権を与えてローマの正規軍に採用する。

カエサル暗殺

 前46年には独裁官、前44年には終身独裁官に就任、3月15日、元老院会議場でカエサル独裁の反対派の暗殺団(その一人がブルートゥス)の手によって暗殺された。

その他の業績

 カエサルは文人としても才能があり、『ガリア戦記』、『内乱記』を今に伝えている。また政治家としては、暦法を統一して、「ユリウス暦」を定めたことも重要である。

Episode 7月の名前(July)

 カエサルの名はユリウス。英語での綴りは、Julius Caesar で、ジュリアス=シーザー。7月をJulyというのは、カエサルがこの月の生まれだったので、それにちなんで名つけられた。なお、Caesar という名から、後に皇帝を意味するドイツ語のカイザー(カイゼル)や、ロシア語のツァーリという言葉が派生した。

Episode カエサルの野望と最後

 いささか古い著述であるが、分かりやすい名文であると思うので引用する。
(引用)外面のはなやかさにひきかえ孤独だったシーザーは次第に君主政に惹かれていった。前44年の春・・・共和主義者の蛇蝎視した王(レクス)という称号が彼の心を占領した。「終身の独裁官」の称号を帯びた彼は、昔の王のように紫衣をまとい、金色の玉座についた。・・・残るは王の名と王冠だけである。2月15日のルペルカリアという昔からの祭に、民意打診の奇妙な演出が行われた。年中行事のうちとけた気分でフォルムに集まった民衆を前に、コンスルのアントニウスがうやうやしく王冠を捧げた。ところが予期された民衆の拍手は起こらなかった。カエサルはとっさの気転で王冠を辞してその場をつくろった。それから一ヶ月後・・・シーザーはイタリア内では独裁官、外では王となるという妥協案を出すつもりでいた。彼の着席するのを待って一人の嘆願者が進み出た。願いを容れられないで彼はシーザーの衣を捉えた。それを合図に、短剣をかざした人々がシーザーに襲いかかった。傷にひるまず身をかわして抵抗した彼も、ブルーツスを認めたときは顔を上衣でおおい、力尽きてポンペイウスの立像の下に倒れた。<秀村欣二『ギリシアとローマ』1961 世界の歴史2 中央公論社 p.317-318>
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ノートの参照
第1章3節 ウ.内乱の一世紀
書籍案内

長谷川博隆
『カエサル』
1994 講談社学術文庫