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仏像

仏教では偶像崇拝は否定されていたが、ヘレニズムの影響でガンダーラで仏像彫刻が始まったとされている。

竜王の礼仏
竜王の礼仏
高田修『仏像の誕生』より

仏像のない時代

 仏教の始まり(通説で紀元前480年頃)から紀元後2世紀ごろまでの仏教美術は、「仏像のない時代」であり、信仰の対象はストゥーパ(仏塔)がであった。仏塔の玉垣や門には、仏陀の生涯(仏伝)における説教や入滅などがレリーフで描かれているが、そこにも仏陀(ガウタマ=シッダールタ)そのものを現すことはなかった。それは「仏陀なき仏伝図」であった。左の図はその例の一つで、インドのアラハーバード付近のバールフットで出土した石版の一部である。銘文によるとこれは「竜王が世尊(仏陀のこと)を礼拝す」とあり、竜王が王の姿になり王妃を従えて鹿野園に世尊を訪ね、将来人間に生まれ変わるであろうという予言を得たという伝説が物語られている。ここでは仏は大きい樹木と樹下の台座とで暗示されている。このように、初期の仏伝図では仏の姿が描かれることはなかった。仏の存在を暗示する工夫として、菩提樹や台座、仏足跡、法輪などが描かれていた。<高田修『仏像の誕生』岩波新書 1987 p.24>

仏像彫刻の始まり

 1世紀ごろ、クシャーナ時代になってカニシカ王の保護のもと仏教の中心地がガンダーラ地方に移ると、ヘレニズム彫刻の技法によって仏像を制作することが始まった。ガンダーラ美術に見られる初期の仏像はギリシア彫刻の技法によって造られている。仏像彫刻は、4世に成立したグプタ朝の時代には、ガンダーラ以来のヘレニズムの影響から脱して、インド独自のグプタ様式へと移行していく。
仏像の誕生に関する異説  仏像の誕生には、ガンダーラ説が一般的であるが、同じクシャーナ朝時代にガンダーラとは別に、ヘレニズムの影響下ではなく、インド独自に生まれたマトゥラー美術に求める考えもある。<高田修『仏像の誕生』岩波新書 1987>

大乗仏教と仏像

(引用)大乗仏教とは、紀元後1世紀に起こった、形骸化した伝統仏教の立場に対し、釈迦の精神に帰れという仏教革新運動であるが、その際己れを大乗、だれでも乗せることのできる大きな乗物と称し、伝統仏教を小乗と呼んだ。そしてこの大乗仏教は、もっぱら釈迦の存在を超歴史化・超人格化し、それを人間と違った如来、仏とするばかりか、釈迦の持っているさまざまな性格をも、実体化して仏とし薬師、大日、阿弥陀などの多くの仏を生んでいったのである。そしてこれらの仏像に礼拝するということになったのである。ここに仏教は(中略)初めて宗教となったのであろうが、この倫理的な仏教から、宗教となった仏教への変化の中に、像の成立が大きな役割を担っているのは否定できない。今日、われわれが仏教というものを考えるとき、仏像を持った仏教を考えるわけであるが、その仏教は釈迦仏教から、だいぶ変化していたわけである。<梅原猛他『仏像 心とかたち』1965 NHKブックス p.37>
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ノートの参照
第2章1節 カ.クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝
書籍案内
高田修『仏像の誕生』
1987 岩波新書

望月信成・佐和隆研・梅原猛
『仏像 心とかたち』
1965 NHKブックス