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洛陽

東周の洛邑から発展し後漢の都となった。その後も三国時代の魏、西晋、北魏でも都とされ、隋・唐では副都とされる。郊外には北魏~唐に造営された竜門石窟寺院がある。

 かつて東周時代に都となった洛邑。関中(渭水地方)の咸陽や長安に対し、東都と言われ、中原を抑える要衝であった。後漢の光武帝はこの地を首都とした。その後、三国時代の、さらに西晋の都となる。五胡十六国時代には南匈奴の前趙の軍に占領された。華北を統一した北朝の北魏は始め北方の平城を都としたが、漢化政策を進めた孝文帝は中原を抑えるため洛陽に遷都した。また、隋の煬帝は、首都長安を西京、この洛陽に東京(とうけい)を築いた。また煬帝はこの地を基点に北に大運河の一つの永済渠を建設し、現在の北京方面や、高句麗への進出の拠点とした。唐時代も西の首都長安に対して東都とされた。さらに則天武后は唐の実権を握り、国号を(武周)に変更すると共に、都を洛陽に移し神都と改称した。
 洛陽は唐の時代まで、長安と並ぶ政治・経済・文化の中心地であったが、五代のはじめに都が東の汴州に移され、その地が宋代に開封として発展し、次に元の時代になると、大都といわれた北京が中国の政治の中心になったため、かつての繁栄は終わった。しかし、現在も河南省の主要都市として存続し、歴史的な都市・郊外の竜門石窟寺院遺跡などの文化遺産が豊富で、世界遺産に登録されている。
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ノートの参照
2章3節 キ.漢代の政治
3章2節 イ.分裂の時代