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淝水の戦い

383年、前秦の苻堅の率いる大軍が、東晋軍に敗れた戦い。

規模においては中国史上最大の戦いと言われている。五胡十六国のひとつのが建国した前秦苻堅は、華北を完全に領有した後、歩兵60万、騎兵30万の大軍を三軍に分けて南下させ、淮水流域から一挙に東晋の都建康(現在の南京)を突こうとした。しかしその内実はさまざまな異民族や漢人からなる混成部隊で統制がとれていなかった。迎え撃つ東晋の先鋒を務めた謝玄は、淝水(ひすい)の北岸で決戦をしようと前秦軍をおびきよせ、その大軍が集結する前に先制攻撃をしかけて混乱させた。総崩れとなった前秦軍では苻堅も流れ矢にあたって傷つき敗走、かろうじて洛陽に帰り着いたときは総勢10万を残すのみであったという。この敗戦によって前秦は衰え、鮮卑の慕容氏の後秦国に取って代わられ、華北は再び分裂状態となる。一方、江南の東晋では漢人社会の貴族文化が開花するが、政権は420年にに交替し、中国は南北二分の態勢が確定、南北朝時代に移行していく。
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ノートの参照
第3章1節 イ.分裂の時代