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雲崗

雲崗の石仏
雲崗の石仏(2002年センターテストより)

5世紀後半、北魏の都平城近郊につくられた石窟寺院。中国仏教の最大の遺産。

 5世紀の後半、北魏の最初の都平城(現在の大同)の郊外西方に造営された石窟寺院で、巨大な石仏で有名なところ。インドのガンダーラグプタ様式の影響を受けた巨大な石仏彫刻が特徴。
 北魏では太武帝廃仏の後、次の文成帝が仏教を復興させ、僧曇曜を総監督に任じ、460年から494年の孝文帝の洛陽遷都までの間、建造が行われた。中国仏教の隆盛によって産み出された仏教美術の最大の遺産であり、インドのガンダーラ美術グプタ様式美術の影響も見られ貴重である。
 北魏の都が洛陽に移されると、新たにその郊外に竜門の石窟寺院が造営されるが、雲崗のようなインドの影響は薄まり、中国独自の様式が見られるようになる。

Episode 雲崗の石仏の意味

 雲崗に石仏を建造することを思いつき、文成帝からその監督を命じられた僧曇曜は、北魏に滅ぼされた仏教国北涼の出身で、太武帝の廃仏の間は身を潜めていたが、新帝によって都平城に招かれ、仏教復興事業にあたることとなった。曇曜は、廃仏の憂き目を再び味あわないように、容易に破壊されない仏像をつくろうとし、故郷の北涼に倣って石仏を造ることにした。また北魏の皇帝が気が変わっても破壊できぬよう、5体の大仏は北魏の太祖道武帝(拓跋珪)から現代の文成帝までの5人に擬した巨仏とした。しかも、その位置は都平城から北方の拓跋氏の故郷の地にむかう道の途中を選んだ。このような周到な配慮で造られたのが雲崗の石仏であった。<塚本善隆『唐とインド』旧中公版世界の歴史4 p.269>
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3章2節 エ.魏晋南北朝の文化