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中書省

中国の唐王朝などの中央政治機構。三省の一つ。宋・元で形を変えて継承されたが、明で廃止された。

 の中央官僚機構である三省六部の三省の一つ。皇帝の詔勅(皇帝の命令書)を起草する機関。唐以降の王朝でも中書省は最重要の官庁として存続し、宋では門下省を吸収して中書門下省(単に中書省ともいった)となった。

元の中書省

 では中書省は中央官庁の一つで、最高行政機関とされた。門下省と尚書省は常置されず、中書省が最高行政機関とされ、長官を中書令といい、皇太子が兼ね、その下の左右の丞相が実質的な政治を行い、宰相としての地位にあった。六部も中書省の管轄下に入った。また元では、地方の行政・軍事・財政を司る機関として行中書省が置かれ、中書省に直属したが、後に中書省から分離した。

中書省の廃止

 中書省は隋唐の律令制以来の三省の一つとして、皇帝の詔書の起草にあたる最重要官庁あり、元朝の中書省は最高行政機関とされ、六部も中書省の管轄下に入り、その実質的長官である左右丞相が宰相の役割を果たしていた。次のになると、太祖洪武帝の時、中書省は廃止され、六部は皇帝直属となった。洪武帝は即位当時、同郷の出身で建国に功績のあった胡惟庸を中書省の長官(丞相、宰相とも言う)に任じた。胡惟庸は丞相になると権力を揮い、政務に専横な振る舞いが目立つようになった。1380年、太祖は、胡惟庸がモンゴルの残党や日本と連絡を取り、明王朝を転覆させる陰謀をたくらんでいるとして捕らえ、その一味として1万5千人を捕らえ処刑した。皇帝の権力を脅かす存在となったからであろう。この「胡惟庸の獄」を契機に太祖は中書省とその長官である丞相を廃止し、さらに六部を皇帝直属とし、皇帝独裁体制を作り上げた。なお、太祖は宰相廃止後の皇帝輔弼の役として殿閣大学士を置いたがその地位は低く、後に永楽帝の時に内閣大学士に統合される。