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楊貴妃

唐の玄宗の愛妃。安史の乱の要因となった。

唐の玄宗皇帝の愛妃。古来、西のクレオパトラと並ぶ、東の美人の代表とされる。楊家の出で、はじめは玄宗の王子の妃であったが、玄宗の目にとまり、いったん女道士(道教の尼)と言うことにした上で744年、玄宗の後宮に入った。56歳の玄宗は22歳の楊貴妃を溺愛し、妃の最高位である貴妃の地位につけたので楊貴妃という。二人は政治をかえりみず、長安から離れた驪山(りざん)の温泉に入り浸るようになった。それにともなって一族の楊国忠が政界に進出し、宰相にまで上りつめた。楊一族の進出を悦ばない節度使安禄山が反旗を翻し、安史の乱が起こって反乱軍が長安を占領すると玄宗とともに西に逃れ、途中反乱軍に捕らえられて楊国忠とともに殺された。玄宗と楊貴妃の逃避行は白居易(白楽天)の『長恨歌』にうたわれ、広く知られている。平安時代の日本にも伝えられ貴族たちに愛読された。
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第3章2節 エ.唐の動揺