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安禄山

唐の節度使となったソグド系の武将。安史の乱を起こす。

安禄山は父が突厥の武将であったイラン系のソグド人、母は突厥人という、漢民族の出身ではなかった。平廬と范陽の節度使を兼ねていた張守珪に認められ、さらに時の宰相李林甫によって彼自身も平廬の節度使となった。李林甫を通じて玄宗とその妃楊貴妃に取り入り権勢をふるうようになった。楊貴妃に気に入られた安禄山は、その養子となった。751年までに平廬の他に范陽と河東の三節度使を兼ね18万ほどの兵力を持つに至った。しかし翌年宰相李林甫が死に、楊貴妃のいとこの楊国忠が宰相になると安禄山の権勢も脅かされるようになり、755年、安禄山は「君側の奸」楊国忠を除く、という口実で反乱を起こした。これが安史の乱である。反乱軍は都の長安を陥れ、安禄山は大燕皇帝を名乗ったが、まもなく失明、その子の安慶緒に殺された。反乱軍は禄山の友人史思明が代わって指揮したが、彼も子の史朝義と対立、殺された。このように反乱軍は内紛があいついで、763年自壊した。

Episode 体重200kの安禄山

 安禄山は大変な肥満体で、体重は約197kgとも209kgともいわれ、腹が膝の下まで垂れ下がっていたという。ふとりすぎて従者に両脇を支えてられてやっと歩けたが、玄宗の前ではソグド人の舞を風の如く軽やかに舞った。
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第3章2節 エ.唐の動揺