印刷 | 通常画面に戻る |

クレオパトラ

前1世紀、プトレマイオス朝エジプトの最後の女王。ローマのカエサルと結び支配権を握ったが、オクタヴィアヌスによって滅ぼされた。

 前1世紀中ごろ、プトレマイオス朝エジプトの女王で、クレオパトラ7世という。プトレマイオス朝はヘレニズム国家であるから、クレオパトラはエジプト人ではなく、マケドニア系の人。ローマの圧力に苦しんでいたエジプトを、ローマの有力者の争いを利用して存続をはかった。
 まずポンペイウスを追ってエジプトに来たカエサルを誘惑(クレオパトラは寝台のシーツの間に身を隠し、寝台ごとカエサルのもとに運ばせたという)、夫婦となり、一子カエサリオンを産んだ(カエサリオンは後にオクタウィアヌスに殺される)。クレオパトラは、対立していた共同統治者の弟をカエサルのローマ軍によって倒すことに成功し、プトレマイオス朝の実権を握った。なお、この前48年の戦争によって、アレクサンドリアムセイオンの大図書館が焼失したと言われている。
 次にローマでオクタウィアヌスと対立したアントニウスと結んだが、前31年アクティウムの海戦に敗れ、首都アレクサンドリアに戻り、追ってきたオクタウィアヌスを誘惑しようとしたが、すでに41歳、彼はその手に乗らず、もはやこれまでと観念したクレオパトラはわが胸を毒蛇にかませて自殺した(前30年)。その死体はオクタウィアヌスによって、アントニウスと並んで埋葬された。カエサルやアントニウスを惑わしたその美しさは、中国の唐の楊貴妃と並び称されている。アクティウムの海戦でエジプトが敗れた前31年は、前331年のアレクサンドリアが建設されてからちょうど300年目にあたっていた。これによって、プトレマイオス朝エジプトは滅亡し、ローマの地中海支配は完成した。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第1章3節 ウ.内乱の一世紀