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黄巣の乱

唐末の875年に起こった黄巣らを指導者とする農民反乱。884年に鎮圧されたが、唐は急速に衰退する。

 の末期の875年夏、黄河下流の山東省・河南省一帯で相次いで農民反乱が起こった。その年、この地方にイナゴが大発生し、その大群がとぶと日中も暗く、飛び去ったあとは青いものはすべて食べ尽くされ赤土だけが残ったという。そのような中で唐朝が草賊とよんだ群盗、塩の密売人である王仙芝黄巣が、その秘密結社の組織力を生かして反乱を指導し、急激に膨張し反乱集団は大きな勢力となった。彼らは塩専売制のもとで密売によって利益を得ていたが、唐政府が密売摘発を強化したことに反発して反乱を起こしたのだった。878年王仙芝が戦死するとその勢力を併せた黄巣は、江北の節度使との対決を避けて南下し、広州に入った。さらに北上を目指し、880年には長安を陥れ、黄巣は皇帝の位につき、大斉と言う国号を称した。唐の皇帝僖宗は、トルコ系(突厥系)沙陀族の李克用の援軍を求め、独眼竜と言われた勇猛な李克用が長安を攻撃し、そのため長安は灰燼と帰し、このとき唐文化の繁栄は失われた。ついで反乱軍の部将であった朱全忠が唐軍に投降し、李克用とともに黄巣の軍を攻撃したため黄巣は長安を追われ、山東に逃げ延びたが、884年に鎮圧された。

黄巣の乱の意義

 黄巣の乱は10年近くにわたり中国全土を巻き込んだ大乱となり、884年の鎮圧後、唐は20数年を経て、乱を鎮圧して頭角を現して節度使となった朱全忠が907年に唐に代わって後梁を建国する。こうして290年、20代に及んだ唐の滅亡をもたらし、五代十国の分裂期に入るきっかけとなった。
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3章3節 エ.唐の動揺