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開城/ケソン

朝鮮の高麗を建国した王建が都として定めた。現在は北朝鮮に属し、工業都市ケソンとなっている。

 高麗の首都。王都としては開京という。新羅末期に、松岳といわれていたこの付近を拠点とした王建が有力となり、918年に高麗を建国した(高麗の太祖)。王建は、翌年、根拠地としていた松岳の地を新たな王都として定め、開城と名づけた。その後も歴代の高麗王の宮殿が置かれたが、モンゴル軍が高麗を制圧した1231年には、王都は江華島に逃れた。その後、王都として復活したが、14世紀には高麗は次第に衰退し、1392年に李成桂が高麗に代わって朝鮮王朝を樹立、都は漢城(現在のソウル)に移った。現在の開城のの郊外には、太祖王建をはじめ、高麗王陵歴代の墓や歴史的建造物などが残り、世界遺産に登録されている。

世界遺産 開城の歴史的建造物と遺跡

 現在は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に含まれる開城は、918年から1392年まで続いた高麗王朝の王都として、高麗王朝の政治・文化の高度な文化を伝える建造物と遺跡として、2013年に世界遺産に登録された。王都としての開城は、三重の城壁に囲まれており、都市としての防衛システムを有していたが、その一部が現存しており、それと共に高麗文化の高さを示す天文・気象の観測所だった瞻星台などが遺産の構成要素となっている。それらは、高麗時代に朝鮮の文化が仏教から儒教に推移していったことを伝えると共に、周辺の東アジア諸地域と密接に関係していたことを伝えており、10~14世紀の中世東アジアの貴重な文化遺産と言うことができる。 → ユネスコ世界遺産センター Historic Monuments and Sites in Kaesong

ケソン工業団地

 開城(ケソン)は南北の停戦ライン近く、旧市街は板門店から約20kmしか離れていないところに位置し、現在の朝鮮民主主義人民共和国のなかでも重要な都市となっている。特に2000年代に南北朝鮮の融和の象徴として建設されたケソン工業団地があることで知られる。しかしケソン工業団地は2016年に南北が敵対関係に戻ったことによって閉鎖されている。
 ケソン工業団地は、韓国の現代グループ会長鄭周永が平壌を訪問して構想を明らかにし、韓国大統領の金大中と、北朝鮮の労働党総書記金正日が南北首脳会談で合意して発足した。金大中の太陽政策の具体化として注目され、南北統一の第一歩となるのでは、と期待された。その構想では、北朝鮮が土地と労働力を、韓国が資本と技術を提供して共同事業とする、というものであり、工場の整備が進められて2004年には生産が開始された。また韓国側は、ケソン工業団地が、中国で進められた改革開放路線と同じように進むことを期待した。しかし、アメリカは、北朝鮮がケソン工業団地の利益を核開発に向けているとして当初から懐疑的であり、早くも2006年ごろからその維持が困難となっていった。2008年に韓国大統領となった李明博は、金大中・盧武鉉政権の下で進められた太陽政策を否定し、北朝鮮との強硬姿勢に転じた。北朝鮮にとってケソン工業団地からの収益はほとんど唯一の外貨獲得ルートであったため貴重であったが、2013年に核実験に踏み切るなど軍事強硬路線に転換した。その結果、対立はエスカレートし、2016年にケソン工業団地値は事実上の閉鎖に追いこまれた。
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