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趙匡胤/太祖

趙匡胤
現代のトランプに見る趙匡胤

後周の将軍だったが武将に推薦されて帝位につき、960年、宋を建国、初代の太祖となった。節度使勢力を抑えて文治主義を取り、科挙を強化して官僚制を整備し、皇帝専制政治体制を作り上げた。

 960年、五代最後の王朝の後周で7歳の皇帝が即位したとき、遼の侵攻をおそれた軍部が、人望の高かった部将趙匡胤を推して禅譲の形式で帝位につけた。これがの太祖(在位960~976年)であり、都は開封(汴京)に置かれた。太祖は藩鎮勢力の力を抑えることに務め、皇帝権力の強化を図ることに成功、五代十国の混乱を終わらせ、漢民族による統一的な支配を回復した。科挙の最終試験に殿試をおくなど官僚制の整備を行い、武断的な政治を改めて文治主義を進め、皇帝専制体制を作り上げて安定した宋王朝の統治の基礎をつくった。

Episode 無理やり皇帝にさせられた(?)趙匡胤

 趙匡胤は後周の近衛軍(皇帝の親衛隊)の将軍で人望が高かった。趙匡胤が出陣の祝い酒に酔って首都開封の北の陳橋駅で寝込んでいると、夜明けごろ、弟の趙匡義をはじめ将士の群が突然に手に抜身の大刀をたずさえ、寝所に押しこんできて、無理やりに天子の黄色の上衣をきせられて皇帝になった。趙匡胤は一度は拒絶したが、「兵士に後周の朝廷や都で略奪にするものは厳罰に処する」ことを認めさせて帝位に上った。という話になっているが、これは弟らが趙匡胤の野望をよんでしくんだ芝居だったのだろう。<貝塚茂樹『中国の歴史』中 岩波新書 1969 p.128> 

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第6章2節 ウ.宋の統治
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貝塚茂樹『中国の歴史』中 岩波新書 1969