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暗殺教団

11世紀後半に登場した、イスラーム教シーア派のイスマーイール派の分派でイラン北部に自立した。スンナ派など敵対する勢力に対する殺人行為で恐れられたが、フラグのモンゴル軍によって滅ぼされた。

 イスラーム教少数派のシーア派の分派であるイスマーイール派の中の最も過激な一派。ファーティマ朝でさらにイスマーイール派の分派が続き、10世紀末にはドゥルーズ派、11世紀にはニザール派が分離する。ニザール派(ニザリ派、またはアサシン派ともいう)は、イラン人でカイロに行ってイスマーイール派の教学を学んだハサン=サッバーフを指導者とし、イランのエルブルズ山脈山中のアラムート(鷲の巣の意味)などの要塞を拠点に、狂信的な教団をつくった。イランを支配していたスンナ派のセルジューク朝がこの派を厳しく弾圧したため、激しく抵抗した。1092年には、セルジューク朝の宰相ニザーム=アルムルクを暗殺したことで知られる。

十字軍時代の暗殺教団

 また、ファーティマ朝を滅ぼしたアイユーブ朝サラーフ=アッディーンも執拗に暗殺教団の刺客に命を狙われており、1176年にはその一掃を図って根拠地のマスヤーフ城を包囲したが、落とすことはできなかった。彼らは敵対する宗派に対しては暗殺という手段をとることも辞さなかったので恐れられて暗殺教団といわれるようになり、十字軍を通じてその存在はヨーロッパに知られた。

暗殺教団の滅亡

 13世紀にはイランの山岳地帯に一つの王国をつくるほどになっていたが、1256年にモンゴルのフラグの軍隊の総攻撃を受け、拠点アラムートが陥落して制圧された。その後も少数ながら生き残り、19世紀にはパキスタンを拠点に活動、ついでインド西部に移り、アガ=カーンを指導者とした教団を存続させている。

Episode assassination(暗殺)の語源となった、アサシン派

 ニザール派(ニザリ派)は、彼らが秘密の城塞で、ハシーシュ(大麻)を使って若者を暗殺者に仕立て上げていたことから、アサシン派とも言われ、彼らが暗殺教団としてヨーロッパに知られるようになって、アサシンから暗殺を意味するアサシネーションという言葉が生まれた、という。<岩村忍『暗殺者教国-イスラム異端派の歴史』ちくま学芸文庫 など>

暗殺教団とは

 数あるイスラーム教の分派の中でも暗殺教団(ニザール派)というのはわかりづらい。ここではアラブ側の歴史書の説明を見よう。
 イラン人のハッサン=サッハーブは、スンナ派のセルジューク朝スルタンがアッバース朝カリフを完全に私物化し、シーア派が迫害されている現状を変えようと考え、1071年頃シーア派の最後の砦ファーティマ朝エジプトに移住した。しかしファーティマ朝の老カリフもアルメニア人宰相のかいらいになっていた。セルジューク朝のスンナ派帝国を転覆させることをめざした。カリフの長子ニザールはハッサンとその同士とともに新しい指導者として教団をつくり、ハッサンをセルジューク朝の心臓部に送り込んだ。
(引用)団員は入門者から総長に至るまで、知識、信頼性および勇気の程度によって評価され、集中講義と肉体的訓練を受ける。ハサンが敵を震え上がらせるために好んだ武器は殺人であった。選んだ人物を殺す使命を担った団員は、一人で、またはほとんど珍しい例だが、二人あるいは三人組で派遣される。彼らはふつう商人か修道士に変装し、犯行を実施すべき町のなかを往来して、現場および犠牲者の習慣を熟知し、ひとたび計画が成るや、とびかかる。
 しかし、準備が極秘のうちに成されるにせよ、実行は必ず公けに、できるだけ多くの群衆の前で起こらなければならない。そのため場所はモスクで、いちばん良い日は金曜日、それも正午ということになる。ハサンにとって、殺人は敵を消す単なる手段ではなく、何よりも先ず、公衆に与える二重の教訓なのである。すなわち一つは殺される人物への懲罰、他は、現場で十中八九命を失うからフィダーイ(決死隊の意)と呼ばれる遂行者の英雄的な犠牲だ。<アミン・マアルーフ『アラブの見た十字軍』リブロポート p.257>
 ただしこの筆者は、彼らがハッシーシュ(麻薬)を常習としていたことについては「もっともらしい仮説」に過ぎないといっている。また同書では、ハサン=サッハーブはセルジューク朝を倒すためにシリアにも分派を造り、十字軍とも秘密同盟を結んだとも説明している。またアラブの地方政権の中には、性的を倒すために暗殺教団を利用しようとしたことがあったという。暗殺教団というテロ手法を採る活動が、シーア派(イスマイール派)とスンナ派の対立から生まれたことに注意しておこう。
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ノートの参照
第5章1節 ウ.イスラーム帝国
書籍案内

岩村忍
『暗殺者教国―
イスラム異端派の歴史』
ちくま学芸文庫

アミン・マアルーフ
/牟田口義郎・新川雅子訳
『アラブが見た十字軍』
ちくま学芸文庫