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テオドリック

5世紀末、ゲルマン人の東ゴート人を率いてイタリアに入りオドアケルを倒して東ゴート王国を建国した。

テオドリック大王と称される。フン人に支配されていた東ゴート人が、フン人の衰退後にパンノニア(現ハンガリー)に移動して自立した。471年、そのテオドリック王は東ローマ帝国の要請を受けてオドアケルの王国を攻撃するためイタリア半島に移動、493年、オドアケルを滅ぼしてイタリアに東ゴート王国を建設した。都はラヴェンナに置いた。

ローマ化したゲルマン王

 東ゴート王国はイタリア半島のほぼ全域を支配したが、征服者であるゲルマン人はローマ人に対して少数であり、またローマ文化の優越は現実であった。テオドリック自身、8歳の時に人質として東ローマ帝国の都コンスタンティノープルに送られ18歳まですごしており、また東ローマ帝国に協力してオドアケルを倒した経緯もあり、東ローマ帝国に対しては常に従順であった。彼はゲルマン人に対しては王であったが、東ローマ帝国に対しては一官吏としての立場を守り、貨幣の発行は東ローマ皇帝の名で行い、軍隊のみはゴート人が占めたが、行政はローマ人官吏に行わせた。法律も軍隊をのぞいてローマ法を施行した。彼自身、ローマ名のフラヴィウスと名乗り、率先してローマ化を進め「つねに尊厳にして、ローマの名の普及者」との称号を得た。しかし、信仰ではアリウス派キリスト教を捨てず、三位一体説をとるローマ教会とは対立し、その反発を受けた。その点では彼のイタリア支配は完全にはいかなかった。

ラヴェンナのテオドリック廟

 テオドリックは526年に死去すると、生存中に作らせたラヴェンナの廟に遺体が納められた。テオドリック廟は現在もラヴェンナに残されており、円蓋は直径11m、厚さ3.2mの一枚岩で覆われている。
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ノートの参照
第6章1節 イ.ゲルマン人の大移動