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ロロ

ノルマン人を率い、フランスに進出。その北部に定住し、911年、フランス王からノルマンディー公の地位を認められ、ノルマンディ公国を建てた。

 カール大帝の死後、フランク王国が分裂して争っていたため、ノルマン人の侵入は更に活発になってきた。互いに争った中部フランクと西フランクはそれぞれノルマン人を傭兵として有利に戦おうとしたため、ノルマン人の領内への居住を認めることもあった。9世紀にはいくつかのノルマン人部族が、喫水線の浅いヴァイキング船を利用してセーヌ川やロアーヌ川を遡り、内陸の都市を襲撃、パリもたびたびその攻撃にさらされた。

ノルマンディー公国の成立

 ロロ(またはロロー、Rollo 860-933)はノルマン人のいわゆるヴァイキングの首領の一人。911年にデンマークにいたノルマン人部族を率いてフランスに侵入を開始し、シャルトルを包囲した。シャルル3世(単純王)は、かれを北方の地域に封じて、公国として認めることによって、フランスの心臓部へ侵入することを防ぐのが得策と考え、ロロをノルマンディー公とすることを約束した。その条件として、ヴァイキングの指導者たちが洗礼を受けてキリスト教徒となること、略奪行為は停止することをあげ、ロロもそれを承諾し、ここにノルマンディー公国が成立することとなった。
 公国とは、フランス国王に臣従しながら、一定の地域の支配権を与えられる地方政権の意味である。ノルマンディー公は形式的にはフランス王の臣下であるが、実質的には独立した支配権を持つ地方政権となった。このロロの5代の後のノルマンディー公ウィリアム(フランス名ギョーム)が、1066年にノルマン=コンクェストによってイングランド王となり、ノルマン朝を開くこととなる。

ロロの公国支配

(引用)ロロは、クヌートとおなじく、再建者に変わり、人民から崇敬の念を持って迎えられた。その公正な態度のゆえに、海峡諸島(ノルマンディー半島の西、現在イギリス領)の人びとは、法律の保護を求める場合、「クラモール・ドゥ・ハロー」という習慣が行われた。それは、証人の前に膝まづいて、「お助けください、王さま、私は被害を受けているのです」と呼ばわるのである。そうすれば、事件はただちに法廷に持ちだされなくてはならぬ。現在のノルマンディー半島を中心に、一帯はノルマンディー地方と呼ばれ、デーン人を中心に、北ヨーロッパ人が居住した。<荒正人『ヴァイキング』1968 中公新書 p.74>
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ノートの参照
5章1節 キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱
書籍案内
ヴァイキング表紙
荒正人
『ヴァイキング―世界史を変えた海の戦士』
1968 中公新書