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模範議会

1295年、エドワード1世が召集。貴族・聖職者に加え、州代表の騎士と都市代表の市民を加えて開催し、イギリスの身分制議会の模範となる。

 イギリス(厳密にはイングランド王国)の国王エドワード1世は、スコットランド征服の戦費調達のため、1295年、大貴族(伯爵=アール・男爵=バロン)・高位聖職者(大司教・司教・修道院長)・各州(カウンティ)2名の騎士各都市2名の代表を召集し、議会を開催した。これを「模範議会」(Model Parliament)という。前代のヘンリ3世の時に、シモン=ド=モンフォールが召集したモンフォール議会は国王に対立したが、エドワード1世は議会を利用して課税を認めさせ、戦費調達に成功した。
 以後、エドワード1世はウェールズスコットランドへの遠征費用、及びフランスとの戦争の戦費を得るため、たびたび議会を開催し、次第に議会制度が定着していく。このイギリスの模範議会はフランスの三部会と共に「身分制議会」の代表的な例である。 → イギリス議会制度 議会

模範議会の意義と限界

 模範議会は文字通り後のイギリス議会の模範とされたが、その意義は州代表の騎士と都市代表の市民が参加するようになったことである。彼等はいずれも当時有力に成りつつあった「コモンズ」つまり庶民といわれた人びとであり、いわば貴族・聖職者に対抗する新興勢力であった。国王エドワード1世も王権の新たな支持基盤として議会に彼等を召集した。しかし、彼等はあくまで州共同体や都市共同体という「団体」の代表者であり、近代代議制のような自立した個人から選挙された代表ではない。また、この段階の議会の本質は、国王の諮問に答えて審議するだけで、議員が発議して立法を行うものではなかった。その点でも近代的議会と異なっている。

騎士の意味

 イギリスの模範議会以来の身分制議会における騎士(Knight)とは、封建領主としての騎士ではないので注意を要する。。彼等は州(カウンティ)の有力者で、土地所有者、つまりジェントリ(郷紳)である。この時代の騎士とは次のような実体であった。「1278年以降、土地からの収入が20ポンドに達するすべての自由民が騎士として軍事的義務に服することになっていた。物価が騰貴するにつれて多数の小土地所有者は、欲すると否とにかかわらず、騎士領(Knight's fee)を所有することになる。・・・これらの騎士たちは安楽な階級を形成し、皆から尊敬され、殊に巡回法官(治安判事)の制度が出来てからは、州(カウンティ)の生活に大きな役割を演ずるのが習慣となっていた。」<アンドレ=モロワ『英国史』上 p.183>
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ノートの参照
5章3節 キ.イギリスとフランス