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フランチェスコ会

13世紀初め、アッシジのフランチェスコが始めた托鉢修道会。清貧を徹底する修道会として1210年に教皇インノケンティウス3世によって公認され、以後、異端の取り締まりの急先鋒として活動した。

 イタリアのアッシジ出身の修道士フランチェスコが1208年に創立した托鉢修道会。フランチェスコは豊かな商人の子であったが、あるとき信仰に目覚め、家を捨てて清貧の生活に入った。その仲間は「小さき兄弟会」といわれが、次第に修道院運動の推進団体として重要な存在になっていった。
 1210年にローマ教皇インノケンティウス3世に面会してその活動を承認された。ただし、正式認可は1223年とされている。フランチェスコ派修道会(フランチェスコ会)は次第に参加の修道士を増やし、大きな組織となったが、厳格な清貧生活を守ろうとするフランチェスコと、ローマ教皇に従って組織を拡大しようとする多くの修道士が対立し、フランチェスコの死(1226年)以後は厳格派と穏健派に分裂する。

フランチェスコ会の会則

 フランチェスコが神の啓示を受けて示したという会則は、それまでの修道会会則から見れば前代未聞のもので、すべての聖職者がその簡潔さと妥協の余地のないきびしさに驚いた。会則は3カ条だけで、いずれも新約聖書(福音書)にあるイエスの言葉によるものであった。
  • 第一条 「汝、もし全(まっ)たからんと欲せば、行きて有(たも)でるものを売り、これを貧者に施せ、しからば天において宝を得ん、しかして来たり手吾に従え」(マタイ伝19章21節)
  • 第二条 「金、銀または銭を汝の帯に持つことなかれ、行囊(こうのう=袋)も二枚の下着も、靴も杖もまた同じ」(マタイ伝10章9,10節)
  • 第三条 「みともし吾に従わんと欲せば、己れをすてて、おのが十字架をとりて、吾に従え」(マルコ伝8章34節)

フランチェスコ会の世界布教

 しかし、それでもなおフランチェスコ会はカトリック教会での最大の修道会として続き、13世紀末にはモンテ=コルヴィノの中国伝道を初めとするフランチェスコ会による世界布教が活発に行われた。
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