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西山朝

1778年、西山党の阮氏が建てた王朝。1789年、清を破りベトナムを統一。

18世紀後半、分裂状態が続くベトナムで、南部の阮氏の圧政に反発した阮氏三兄弟(西山党と言われた。この阮氏は南部阮氏とは関係ない)が西山党の乱を起こし、三兄弟の長男阮文岳が1778年に王を称して西山朝を建てた。1787年には「中央皇帝」と称してクィニヨンを都とし、阮文恵がユエを拠点に「北平王」となり、阮文侶がジャディンで「南平王」となった。西山朝はシャム(タイ)軍の支援を受けた南部の阮氏政権をメコン川の戦い(1785年)で破り、さらに北部の鄭氏政権も倒し、1789年にはわずかに残っていた黎朝の系統を復活させさせる口実で介入してきた清軍を阮文恵がハノイ近郊で破り、ベトナムを統一するとともに独立を守った。しかし、西山朝は三兄弟が対立するようになり、内紛が生じ、南部阮氏政権の生き残りの阮福暎がフランスの援助によって勢力を盛り返したため、1802年に滅ぼされた。

Episode ベトナムのナポレオン

 西山党三兄弟は次の阮朝の時代には逆賊とされていたが、現在のベトナムでは分裂と腐敗を終わらせ、統一を実現した兄弟として再評価されている。特に末弟、阮文恵(グェン=ヴァン=フェ)はベトナム史上もっとも偉大な将軍とされ、「声は割れ鐘のように大きく、眼は雷光のごとく鋭く、鋭い感覚と知能をもち戦略にすぐれ、軍律はきびしく、常に第一線に立って戦い、全軍の兵士たちは感激した」という。また、ベトナムのナポレオンと言われ、中国の侵略を撃退した武将としてだけでなく、学者を登用して学校を建て、字喃(チュノム)を公文書に採用して文化の向上に努めた。また税制を改正し土地の開墾を進めるなど民生の安定をはかり、1792年に急死して光中帝の諡を贈られた。<小倉貞男『物語ヴェトナムの歴史』 中公新書、松本信広『ベトナム民族小史』 岩波新書>
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第8章2節 清代の中国と隣接諸地域