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ヴェルデ岬/カーボヴェルデ諸島

アフリカ大陸最西端の岬。1445年、エンリケ航海王子の時にポルトガルの船団が到達。現在はセネガルに属す。

 ポルトガルエンリケ航海王子は1420年代から、盛んに海洋に進出、マディラ島アゾレス諸島などを発見して入植を開始、さらにアフリカ西海岸沿いに南下して黄金や奴隷の獲得を目指した。当時の常識では、ボジャドール岬以南の海は未知の海で、船乗りにとって恐怖の海域であったが、エンリケは老練な船長ジル・エアンネスにその回航を命じ、一度失敗したが1434年に初めてその地点を越えた。ポルトガルの船団は、1435年にさらに南のガーネット湾に達し、翌年はさらに南の地点で上陸してアフリカ人と接触した。その後、リオ・デ・オロの地を過ぎ、ブランコ岬に達した。1441年にはエンリケの派遣した艦隊はリオ・デ・オロで上陸、初めてアフリカ人を捉え、奴隷として本国に連れ帰った。こうしてポルトガル人による黒人奴隷貿易が開始され、1448年には西アフリカ海岸における最初のヨーロッパ人の居留地としてアルギム要塞が建設された。この間、1445年にディニス・ディアスの率いる艦隊は、一気にセネガル川を越え、緑したたる海角に“緑の岬”と言う意味でヴェルデ岬と名づけた。その岬がアフリカ大陸の最西端であった。彼は現在のダカールの海岸にあるコレー島に着き、その地点を過ぎると海岸は東の方に伸びていることを知り、ポルトガル人にイドリーシーその他のアラビア人学者によって《富の国》と伝えられたギニアに達した。
 その後、この地にはフランスが進出し、1895年にフランス領セネガルとなる。アフリカの年と言われた1960年に内陸のマリとの連合国家「マリ連邦」として独立した。しかしすぐに分離の動きが表面化し、同年8月、改めてセネガル共和国として独立した。

カーボ=ヴェルデ諸島

 ヴェルデ岬の沖合西方の大西洋上の島。ヴェルデ岬諸島とも言う。ポルトガルがアフリカ西岸探検を続ける過程でその支配下に入る。1479年のスペインとポルトガルのアルカソヴァス条約でポルトガルの支配権が認められる。1493年の教皇子午線は一般に、ヴェルデ岬諸島から100レグアの子午線とされ、そこから東がポルトガル領とされた。1494年のトルデシリャス条約で分界線はさらに西に370レグア移された。
 カーボヴェルデ諸島はポルトガルの奴隷貿易の中継地として繁栄した。現在の住民のほとんどはギニア地方からの黒人であり、残りはポルトガル人との混血(ムラート)である。奴隷貿易禁止以降は衰退した。1951年にポルトガルの海外州となったが、1970年代に独立運動が強まり、1975年に「カーボヴェルデ共和国」として独立を達成した。
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8章1節 ア.大航海時代