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オラニエ公ウィレム

オランダ独立運動を指導し、1581年に独立を宣言して連邦共和国の初代総督ウィレム1世となる。

Willem van Orange 英語読みではオレンジ公ウィリアム。オラニエ家はもともとは南フランスのオランジュ地方の領主で、ナッサウ家も継承した。文字通りオレンジ色をシンボルカラーとし、現在のオランダにも継承されている。ウィレム(英語読みではウィリアム)は1544年からオラニエ(オランイェ)公となり、神聖ローマ皇帝カール5世の信任を得、続いてスペイン王フェリペ2世に仕え、1555年にネーデルラントの中のホラント、ゼーラント、ユトレヒト3州の総督に任命された。ここからオランダとオラニエ家の関係が始まるる。オラニエ公ウィレムは、あだなは「沈黙屋」といわれ、沈着冷静で感情を表に表さず、機を見るに便であったという。ドイツの文学者シラーは、その『オランダ独立史』でウィレムとフェリペ2世をライバルとして描き、ウィレムに多くのページを割いている。

オランダ独立戦争を指導

 1560年頃からフェリペ2世のネーデルラントにおけるカトリックの強制という宗教政策に反対して信仰の自由を求めるカルヴァン派の下級貴族、商工業者らと結ぶようになった。1567年、ナッサウに亡命したが、1568年ネーデルラントに戻って挙兵し、オランダ独立戦争を開始した。海外に亡命したカルヴァン派の海乞食(ゴイセン)を巧みに使ってスペインとカトリック側を苦しめ、一時は全ネーデルラントを結束して講和に至ったが、1579年にカトリック教徒の多い南部諸州が脱落、北部7州のユトレヒト同盟が結成されその総督に推された。1581年には「ネーデルラント連邦共和国」の独立を宣言、初代オランダ総督となり実質的な国家元首となったが、1584年にカトリック側の刺客によってデルフトで暗殺された。
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ノートの参照
8章4節 エ.オランダの独立とイギリスの海外進出