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ピレネー条約

三十年戦争終結後の、1659年にフランスとスペインが締結した講和条約でフランスが領土を獲得。同時にルイ14世とスペイン王女の婚姻が約束された。

 三十年戦争は1648年のウェストファリア条約で、フランス・スェーデン・オランダとオーストリア・ハプスブルク家間の講和が成立した。しかし、スペインはこの条約には加わらず、フランスとの戦争を継続した。フランスでは幼帝ルイ14世のもとで実権を握ったマザランに対する反発から、フロンドの乱が起きるが、スペインはフランスの反国王派のコンデ公を支援するなどの介入をつづけた。一方マザランは、スペインに対抗するためピューリタン革命で権力を握ったイギリスのクロムウェルと同盟した。スペインではそのころカタルーニャの反乱(1640~52年)が起こっており、双方とも危機を迎えていた。
 フロンドの乱が鎮圧された後の1658年、テュレンヌ(三十年戦争で活躍し、フロンドの乱では国王派を助けた)が率いるフランス軍がスペイン軍(イギリスから亡命してきた王党派も加わっていた)を破り(砂丘の戦い)、翌59年、ピレネー条約を締結して講和した。条約ではフランスは北部ではフランドルの一部とアルトワを、南部ではピレネー山中のルーション伯領を獲得した。同時に、ルイ14世とスペインのフェリペ4世の娘マリア=テレサとの婚姻も約束された。
 マザランの巧みな外交によって、フランスはウェストファリア条約とピレネー条約で領土を獲得して、ルイ14世親政時代の領土拡張のさきがけとなった。また、このとき、マリア=テレサはスペイン王家の所領に対する相続権を放棄する代わりに、持参金を出しことを約束子弟が、その後、この持参金が支払われなかったことから、ルイ14世がスペイン領の南ネーデルラントの領有を主張して、南ネーデルラント継承戦争(1667~68年)が起きる。さらに、このときスペイン王女がルイ14世と結婚したことによって、後にルイ14世がその孫のスペイン王位継承を主張することが可能になり、スペイン継承戦争(1701~14年)につながることになる。
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ノートの参照
8章4節 オ.フランスの宗教内乱と絶対王政