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権利の請願

1628年、イギリス議会が国王に対して出した請願。チャールズ1世がこれを無視し、対立が深まる。

 Petition of Right 1628年、イギリス議会が国王に対し、不当な課税や人身を不当に拘束することなどの禁止を請願し、承認させた文書。後のピューリタン革命をもたらし、イギリス近代国家の重要な法典となった。
 1628年、チャールズ1世三十年戦争でのスペイン・フランスとの戦争で生じた財政難を救うため、人民から法律によらないで強制的に金銭を集めようとし、さらにそれに反対する者を理由を示さず逮捕する、という措置に出た。大いに不満をもったイギリス議会、特に下院は、1627年フランスのラ-ロシェル付近のレ島でチャールズ1世軍が敗れたのを機に、それらの政策に反対の決議をしたが、上院が反対し、国王が認めないことも明らかなので撤回した。あらためて、エドワード=コーク(クック)の提案で、国王が法律を無視したとき個人が救済を求める手段である「請願」という形式をとることにし、両院で採決された。6月2日に国王に提出され、7日に国王もこれを承認した。正式には、「本国会に召集された僧俗の貴族および庶民により、国王陛下に捧呈され、これに対して陛下が国会全体に勅答を給うた請願」といい、全11章からなる。 → イギリス(5)  イギリス議会制度  イギリス革命

権利の請願の内容と意義

 要点は「議会の承認なしに課税しないこと・国民を法律によらず逮捕しないこと」という国民の権利を明確にしたことである。マグナ-カルタなどの過去の法律での国王の不当な課税の禁止、不当な人身拘束の禁止などを確認し、先王ジェームス1世の過ちを列挙、そのうえで国債の強制、恣意的な課税、不法な投獄、軍法裁判の濫用等に反対した。
 この権利の請願は、マグナ-カルタ・権利の章典とともにイギリスの3大法典といわれる。そこではイギリス国民の権利として13世紀以来の歴史的権利であるコモン=ローの精神がつらぬかれている。
 しかし、国王チャールズ1世は、請願を無視し議会を解散し、その後11年にわたって召集せず、側近だけで政治を行った。ようやく1460年、スコットランドの反乱に手を焼いたチャールズ1世が戦費を得るために議会を招集したが、対立点がすぐに明確となり、わずか3週間で解散されるという短期議会に終わった。しかし、王権と議会の対立はついに武力衝突となり、1642年にピューリタン革命が勃発する。

資料 権利の請願

 第10章(まとめの章)「したがって、国会に召集された僧俗の貴族および庶民は、謹んで至尊なる陛下に次のことを請願したてまつる。すなわち、今後何人も、国会制定法による一般的同意なしには、いかなる贈与、貸与、上納金、税金、その他同種の負担をなし、またはそれに応ずるよう強制されないこと。何人も、このことに関し、またはこれを拒否したことに関して、答弁、宣誓、もしくは出頭を求められること、拘留されること、その他いろいろな方法で、苦痛を加えられ、心の平静を奪われること、はないこと。自由人は、前記のような(理由を示さずに逮捕される)ことによって拘禁または拘留されないこと。陛下がかしこくも前記(第6章)陸海軍兵士を立退かせたまい、陛下の人民が将来それによってわずらわされることのがないこと。軍法による裁判(を命ずる)前記(第7章)のような授権状が撤回されること。今後同様の性質をもつ授権状が、前記のように執行されることを目的として発給されることは-それがいかなる人に対してであるにせよ-ないこと。というのは、それを口実に、陛下の臣民が、国の法律および特権に反して、危害を加えられたり、死にいたらしめられたりしないためである。<『人権宣言集』岩波文庫P.60>
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9章1節 イ.イギリス革命